【お知らせ】2/17 ON-PAMシンポジウム2「(改めて)公共性とは何か? 〜公共圏の創造を目指して」

2017.1.13

ON-PAMシンポジウム2「(改めて)公共性とは何か? 〜公共圏の創造を目指して」

 「ON-PAM(舞台芸術制作者オープンネットワーク)」は、2011年の大震災を機にネットワークの必要性・重要性を感じた若手制作者が集まり、2013年に正式発足した全国的・国際的な舞台芸術制作者の会員制ネットワークです。所属や立場を超えた「個人」がオープンなネットワークを構築し、能動的に情報の交換・共有を行うとともに、毎年、特定のテーマを定め、活発な議論を行ってきました。
 2016年は「政策提言・アドボカシー」を中心的な課題と位置付け、8月には「政策提言調査室」を設立、ON-PAMのステートメントを作成することを1年目の目標とし、これまで4回におよぶ勉強会を実施してきました。勉強会では、舞台芸術と社会をつなぐ存在であり、アーティストと最も近い現場で活動している制作者だからこそ出来る実感を伴った言葉を丁寧に紡いでいくこと、多様な背景・経験・知識を持つ人が集まり話をすることで議論に厚みと拡がりを持たせることを大切にしてきました。そんな勉強会を重ねていく中で、話題は自然と「舞台芸術の社会における価値、公共性」へとフォーカスされていきました。そこで参加者それぞれの中で「公共/公共性」という言葉に対する意識や捉え方に大小の違いがあることがわかりました。
 今回のシンポジウムでは、批判的社会理論の研究、特にハーバーマスの公共圏の理論を中心に研究されている大阪大学名誉教授の三島憲一氏に、日本社会を中心とした「公共の場、公共圏」についての講演をお願いしました(※講演のレジュメは下記をご参照ください)。第2部では講演を受け、参加者のみなさんとともに、自由で闊達な議論を行える場を用意したいと考えています。これらの講演とディスカッションを通じて、みなさんとともに「舞台芸術における公共性とは何か?」を再考し自らの言葉にしていくこと、さらにその言葉を共有し議論を重ね深めていくことで、舞台芸術の社会における存在意義がより明確になり、内外へ向けて認知普及していくことを目指したいと考えています。是非、ご参加ください。

日時:2017年2月17日(金)14:00〜16:00
会場:BankART Studio NYK 2F 2B Gallery
アクセス:http://www.bankart1929.com/access/
料金:500円(TPAM参加登録者、ON-PAM会員は無料)
予約:https://goo.gl/forms/jkz6gfS5Eo5OJsYw1
※日英同時通訳あり

第1部 講演「ニッチから公共の場へ」三島憲一
第2部 グループディスカッション+発表

【登壇者プロフィール】

三島憲一
1942年生まれ。ニーチェやベンヤミン、通称フランクフルト学派と言われる批判的社会理論の研究(特にハーバーマスの公共圏の理論)を中心に、現代の思想と文化、社会と政治を論じるつもりで仕事をしているが、「日暮れて道遠し」の感は否めない。著書『ニーチェ』(岩波新書)、『ベンヤミンー破壊・収集・記憶』『ニーチェかく語りき』(岩波現代文庫)など。

【基調講演レジュメ】
ニッチから公共の場へ(三島憲一)
明治以降の日本では、公的な場は一貫して国家により、官により、独占かつ操縦されてきたーコンセンサスと調和の社会という官製の幻想のもとに。公共の世論の場はあるものの、そこでの批判や抵抗はあくまで「ノイズ」として、「うるさい」だけのものとして、上からは、それにどう対処したらいいかを考えればいいだけのものとして扱われてきた。そうした公的な世論の場での重要な表現手段である思想、文学、芸術、演劇などは、近代国家として一定の自由を許容され、ときには奨励されてきたが、あくまでお飾りであり、「人間性の涵養」のためであり、「人格形成」のためであり、「栄養剤」であり、それを越えた含みを持つものはすぐさま危険視された。「危険視」は無視からはじまって、援助の停止から種々の妨害(会場の不提供など)、戦前なら官憲による介入や検閲までバラエティは豊かである。
 「人間性の涵養」に役立つゆえに奨励あたいするものとしては、「世界の中の日本」や「東洋と西洋」「アジアの中で最も早く、最も成功裏に近代化した日本」「日本文化の独自性」「日本の同質性」「日本の豊かな伝統」「サムライ」「禅」などの不問に付された前提をさらに強化し、寿ぐものが優先されてきた。戦後はさらに、19世紀までの西洋「輝かしい」教養文化が加わる。クラシック音楽であり、オペラであり、西洋からの美術の引っ越し展覧会である。
 だが、17〜18世紀以降のヨーロッパにおいて成立し、日本でも一定程度ノイズおよび飾りとして、また栄養剤として許容されてきた公的な世論の場での思想、文学、芸術、演劇は、異議申し立ての場、叛乱の場、不規則発言の場、攪拌と混乱の場である。それらは、ジャーナリズムと並んで、デモクラシーの最も重要かつ効果的な実践の場でもあった。もちろん、独善的でひとりよがりの思想や「危険な」エロスの氾濫や体制罵倒(天皇制廃止、東芝の社長逮捕しろ)の自由も含めてである。言論と表現の自由が各国の憲法で保証されているのは、個人の人権保障と並んで、公共圏の理論として当然の理由がある。日本ではこうした批判の場がニッチ化してしまいがちである。
 小生のトークでは、こうした自由が現在の日本でいろいろなかたちで、そして極めて巧みに、誰も逮捕されないで空洞化されている実態について、そしてニッチからの脱出について考えてみたい。

主催:特定非営利活動法人舞台芸術制作者オープンネットワーク
共催:国際舞台芸術ミーティング in 横浜 2017 実行委員会