日時:12月12日(土)14:00〜18:00
場所:Nextミーティングルーム
2015年12月12日に、舞台芸術制作者オープンネットワーク(ON-PAM)の第4回目のテーマ委員会「『新しい制作者』像まとめ/来年へ向けて」を開催いたしました。2015年度の年間テーマであり、1年かけて話し合ってきた「新しい制作者」像について、これまで行われた3回のテーマ委員会における議論を振り返り「新しい制作者像」を改めて定義付けること、そして、その上で来年の議論テーマをみなさんで共有し、共に考えることを目標にしました。以下、その議論の内容をまとめましたので、是非、ご一読ください。
※末尾にアンケートあり
第1部 これまで三回の委員会の振り返り
『新しい制作者』像を切り口に、これまで以下の3回のテーマ委員会が行われました。(議事録がそれぞれ公開されているので、以下URLをご参照ください)
・第1回テーマ委員会
「制作者とアーティスト、その関係性を問い直す」(東京)
・第2回テーマ委員会
「公立劇場の制作者」の現在地 〜行政と表現のはざまにて〜(京都)
・第3回テーマ委員会
「制作者とアーティスト、その関係性の未来」(東京)
第1部では、上記の委員会において、話されてきた内容を振り返りながら、参加者内で議論を行いました。その内容をまとめて以下に報告します。
「集団」と「個人」の関係について
まず話し合いのテーマになったのは「集団」と「個人」について。最近では美術作家のように個人の才能に大きく依拠するアーティストも出てきたが、「舞台芸術」は基本的に「集団創作」である。がゆえに、制作者の職能として「集団をいかにマネジメントするか?」ということが問われている。いかに民主的に物事を進めていけるのか?ということが重要である。かつては集団の中から制作者が出てくる、ということも多くあったが、現在では「制作者」としての職能を確立した上で、集団に関わるスタイルも増えてきた。
また、公立劇場に入ってその「集団性」の違いに気がついた。公立劇場は「創作集団」ではない。「集団をマネージメントする」ことが、つまり「制度を整えていく」ことになっている。その時に「制度=器」が先か「集団=創り手」が先か、という問題が常に生じてしまう。そして制度が先にあった場合、これまで個人が培ってきた職能とのマッチングが問題になることが多い。
一方で創作中心だからといって集団性が高い、というわけではない。鳥の劇場では、劇場の運営を行うようになり、みんなで多くの仕事を共有するようになったことで、明らかに集団性が強くなった。集団の肝は「身体性の共有」ではないか? パッと集まった人たちが創作できるかというとそうではない。ただ「訓練された身体性」の重要性や垣根は以前に比べて薄まっているのかもしれない。同時に集団の中でのヒエラルキーが当たり前ではなくなってきている。絶対的な演出家がトップにいて、他のスタッフや俳優がその指示に従うような形ではなく、他のスタッフや俳優との関係がフラットになってきていて「みんなで創っている」感覚が強くなっているのではないか。
制作者の役割について、「クリエイティブ・プロデューサー」
大きな流れとして「劇作家の時代」から「演出家の時代」、そして「ファシリテーションの時代」へと変化してきている。そこからさらに「キュレーション・編集の時代」へと進んでいくのではないか。そうした状況ではさらにアーティストとプロデューサーの垣根は低くなっていく。APPキャンプでもテーマになっている「クリエイティブ・プロデューサー」という概念に近い。
一方で、第1回企画委員会(静岡)でも話し合われたように、アーティストの中には企画者・制作者主導の「企画書演劇」への危機感も持ちつつある。アーティストとの距離感を意識する必要もある。
また、公立劇場でしか働いたことがない、という制作者もいる。そして公立劇場から民間へ、という例もほとんどない(民間から公立劇場へ、という例はたくさんあるが)。だからこそ、公立劇場が「創る現場」へと変化しなければならない。その際に芸術監督制を活用し、劇場を創る集団化することが大切。
公共性について
公立劇場が「創る集団」となっていく、と言った時に「公共性」が問われることになる。真の公共性とは「芸術的に良い作品を創り、見せることである」ということが自明にならなければならない。そのために定性的な評価の枠組みを整えていく必要がある。特に批評や研究が重要な位置を占める。ON-PAMにもそういった人に入ってもらう必要があるだろう。
また、現場の人間だけでなく、行政側も変わっていく必要がある。行政側はどうしても異動が多いので個人的な関係性に依拠することが出来ない。行政側にも専門家がいて、現場のことを理解し、協働していく必要がある。一方で、行政側には「お金は出すが、口を出さない(いわゆるアームズ・レングス)」も必要である。行政側をどのように巻き込んでいくか、が制作者にとっての課題でもある。
一方で公共体の論理を内面化する中で、本当に創りたいものではない方向に行ってしまうことの危険性もある。そういった意味で公共劇場でしか働いたことのない制作者の中には公共体の論理こそが「公共性」だと勘違いすることも多い。「公共性」を考えることは重要だが、「公共体の論理」とは全く別物であることを意識しなければならない。
また、地域においては作品の良し悪しを議論するのではなく、多様性を担保していくことも非常に重要である。
第1部まとめ
ここまでの話し合いと、これまでのテーマ委員会を振り返って、「新しい制作者」像に当てはまるキーワードを挙げた。
集団との関わり
職能の拡がり ex. クリエイティブ・プロデューサー、ドラマトゥルグ
公共性 (社会・歴史的視点を持ち、その文脈にきちんと作品を位置づけることが出来る/行政との付き合い方/制度設計や政策提言/定性的評価の確率)
多様性
専門性
ジャンルの越境性
国際性
第2部 振り返りを受けて
第1部の振り返りを受けて、第2部においてはさらに「新しい制作者」における「個別の職能」だけではなく「ネットワーク」にも焦点を当てたいと考えました。そこで、奥野より以下の提案を行いました。
奥野より提案
「個」をいくら分析的に突き詰めていっても、全体の在り方は見えてこない。それは水分子をいくら分析しても、なぜ氷から水になり、水蒸気になるのか、ということが分からないのと同じ。個と個の「つながり方」が重要であり、そのつながり方によって、全体の様相が決まっている。特に現代社会において、SNSやインターネットの果たす役割は非常に大きく、ON-PAMのようなオープンでフラットなネットワーク組織が出来たのは時代的な必然である。これまでの社会において重要とされてきた組織や場所・創作を通じた「強いつながり」だけではなく、「ゆるやかで幅広いつながり」への欲求があった。そして、多くの経験を共有している「強いつながり」よりも、異なる経験を多く持つ「弱いつながり」を沢山もっている方が社会的なイノベーションが起こりやすい状況がある。こういった「弱いつながり」の重要性を言語化し、外へ向けて語っていくことがON-PAMにとっても重要なのではないか。
弱いつながりについて
実際にON-PAMを立ち上げるときにも、あえて専門性を突き詰めるタイプの組織にはしなかった。ネットワークにおいて「どういうものとつながっていきたいか」が重要で「公共的なもの」とつながっていく組織として考えられた。
特に地域に住む人を含め、弱いつながりをどう作っていくべきか、そしてそのつながりが、ON-PAMのような他のつながりとどのように接続していくか、を考える必要がある。そのためにはより外部の組織と協働する機会をつくっていくことが必要ではないか。同時にネットワークにとって「政策提言」がどのくらい重要なのか、をきちんと再検討すべき。
まずは「自分たちは何者なのか」というインナーブランィングを行い、言語化することで、ネットワークを強化していくことを考える必要がある。その際に、職能の拡がりや、異なる経験を持つ人とのつながりが得られることのメリットを訴えていく。ジャンルを越境し、垣根を突き崩していくことに可能性がある。さらに、地域にいると、よりジャンルを越境する必要性を強く感じる。
国際性について
かつてあった「演劇をするなら東京へ出ないと」という雰囲気はかなり変わってきた。地域にいても、ダイレクトに海外とつながれる状況が産まれてきている。さらに国境を超えていいくこと、海外の人と仕事をすることが自然な選択肢の一つになり、人の流動性も増してきた。さらに選択肢が増えてくる状況を作り出せると良いのでは。そのためにも「弱いつながり」は非常に重要。まず色んな選択肢がある、ということを知ること、そして学ぶことや成功例を目の当たりにすることが出来る。そのためにも、ON-PAMをより国際的なネットワークへとしていかなければならない。日本人が苦手なのは、国際的な文脈を理解すること。日本の文脈を語る(発信する)だけでは不十分で、国際的、もしくは、各地の文脈を理解していくことこそが重要。
第3部 まとめ、来年へ向けて
これまでの議論を経て、来年へ向けてどのようなアクションを起こしていくべきか、以下のようなアイデアが挙がりました。
「環境づくり」「制度設計」についての現状認識と改善
そもそも制度を設計していくために何を学べば良いのか? 専門家を招いて、現在の制度の欠陥なども聞いてみたい。それは大きな意味での「環境作り」でもある。仕事の環境、創作の環境をいかに作っていくか。また、制度設計から政策提言へと結びつけていくこともできる。
ネットワークの在り方を考える
ネットワーク理論の専門家を読んでシンポジウムを行う、など、ネットワークの持つ特性や強みについて、もっと勉強し、理解していくことが重要。多様性と越境性を意識しながら、同時につながりうる外部のネットワークを考えていく。
「新しい制作者像」が必要になったその背景は何なのか?
そもそも「新しい制作者」が必要とされる現代社会の背景や環境について、具体的に知る機会を持つ。現状の歴史的意味を知ることも大切。
批評・言論空間をどう立ち上げていくか? 評価の仕組みをどう作るか?
・議論を開いていくこと
20代の会員が少ないのは、彼らにとってリアリティがあるテーマが提示出来ていないから。さらに会員のみなさんにも議論を開いていく必要がある。SNSやメーリングリストを活用して、来年のテーマについて意見を求める。
雑感
今回の委員会を経て、私が感じたのは、参加者の全員が日々の仕事を通じて、大きな時代の変化を実感していること。そしてその方向性はある程度、共通しており、実感レベルで共有できること。その方向を共に目指し、突破していくための場としてON-PAMが非常に有効に働く可能性を秘めていること、である。しかしまだそうはなっていない。これだけ多くの会員が「ゆるく繋がっている」こと自体、大きな価値を持つ、と私は考えている。しかし、その価値は中々意識されづらいものである。このことにまず大きなハードルがある。
同時に、ある熱量を共有しながら、ある目標に向かって進んでいくときに「弱いつながり」では、どうしても散漫になりがちである、というジレンマも感じている。ここで重要なのは「弱いつながり」であることが、ある目標を実現できないことの理由ではない、ということである。それはまず「弱いつながり」であっても実現される「目標」が、予め設定されていないことが問題である。当然「弱いつながり」で創作は行えない(本当にそうか、は深くは考えずに書いている)。つまりON-PAMの「目標」は創作ではない。
では、「政策提言」はどうか? これは非常に難しい問いである。なぜなら、「政策提言」にとって「弱いつながり」は核心的に重要でありつつも、それを行う主体を「弱いつながり」の中に見出すことが困難だからである。「弱いつながり」をもつ「個人の集まり」、は、「弱いつながり」であるがゆえにアイデンティティが希薄になってしまう。そうした集まりから「政策提言」を発することは、何に立脚して、どの立場からの提言であるのか、という点が曖昧であるがゆえに、どうしても当たり障りのない政策提言になってしまいがちである。そして、ここに「弱いつながり」が制度化されにくい、その理由がある。
しかし、制度化されない、ということが、つまり不必要な存在、というわけではない。「弱いつながり」を欲する私たちに共通する問題、前提をあぶり出し、ON-PAMが目指すべき、目標を改めて考えなおす必要がある。例えば「弱いつながり」を持った私たちだからこそ出来る、社会への提言とは何か? という切り口から来年の、もしくはもっと先のテーマが見えてくるのではないか。そのためにもより多くの会員による、より積極的な発信、コミットが必要不可欠である。是非、みなさんのご意見をお伺いしたい。
ON-PAMテーマ委員会 意見募集
今年度(2016年度)のテーマ委員会で話し合うテーマについて、会員の皆さんからご意見を募集いたします。ぜひご意見をお寄せください。
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