2016年11月13日(日)に「施行から4年、劇場法をもっと『活用』するために」と題したON-PAM主催シンポジウムが、京都ロームシアターで開催されました。以下に司会と登壇者の発言、会場からの質問を要約・編集したレポートを掲載します。
第1部 基調講演「劇場法制定に至る背景とその意図」
スピーカー:米屋尚子(公益社団法人 日本芸能実演家団体協議会(芸団協))
第2部「施行後の現状と、今後の活用について」
ゲスト:宮崎刀史紀(ロームシアター京都)、松浦 茂之(三重県文化会館)
日時:2016年11月13日(日)13:00〜15:00
会場:ロームシアター京都 会議室2
司会:奥野将徳
奥野:2016年の3月に京都でON-PAMの総会がありました。その総会の場で、ON-PAMに求めていることを会員の皆さんと話したときに、政策提言をON-PAMが発信していけるようになってほしいという話がありました。ON-PAM設立当初、掲げていた目標として政策提言やアドボカシーがあったにも関わらず、これまで全然出来なかったので、提案が出来るような土壌を作っていくということを目標に据えました。
そうしてテーマ委員会や新しく始まった政策提言調査室で、政策提言の方法を検討する勉強会を行ったり、話し合いをしたりということを、一年間やってきました。今回、政策提言に関連したシンポジウムを企画する際に、僕らがまずすべきこととして、先行事例をきちんと学ぶ。これまでどういうことが行なわれてきて、実現されてきたのか、ということをきちんと学ぶ場が必要だと思い、その一番分かりやすい例、最も関係が深い例として「劇場法」のことを取り上げることにしました。「劇場法」 ※正式名称は「劇場音楽堂等活性化に対する法律」)条文などの詳細は、文化庁サイトよりPDFで読むことができます。
「劇場法」というのは、劇場に関わる人達、もしくは舞台業界に関わる人達が、こういう法律があったらいいんじゃないかということを、長い期間をかけて議論し、実を結んだ結果の一つだと思います。そうやって出来た法律、指針は、あくまでも方針や指針であって、それが実際に現実にどうフィードバックされていくのか、僕らの仕事に具体的にどう関わるのか、もしくは社会をどう変えていくのか、ということをもっと考えなければいけないし、もっと活用しなければいけないのだと思います。
ですので、今日のこの場は、「劇場法」をもう1回みんなで学びましょうということではなく、「劇場法」ができる過程の中で、現場の人達、「劇場法」を作って来た人達が、どういうリアリティや危機感、あるいは実感を持って、必要だと思ったのかということをきちんと理解することが、結果的には「劇場法」という法律を活用していくために重要だと考え、シンポジウムを企画しました。
第一部 基調講演「劇場法制定に至る背景とその意図」
スピーカー:米屋尚子(公益社団法人 日本芸能実演家団体協議会(芸団協))
米屋:今日は「劇場法」の内容の解説と言うよりは、出来てきた経緯をお話ししたいと思います。まず、私が、芸団協に勤めるずっと前の1990年から話を始めます。1990年は、メセナ元年という言い方をされるように、企業メセナ協議会と芸術文化振興基金が発足した年で、民間の支援と公的支援の土台ができた年として、日本の文化政策を考えるうえでとても大事な年です。けれども、あまり言われていないことがもうひとつあります。
それは、水戸芸術館が3月に開館したということです。今から思うと、公共劇場元年と言っていいんじゃないかと思うのですが、水戸芸術館は、演劇だけではなく、音楽と美術もある複合文化施設なのです。それぞれの部門に芸術監督を置いて、貸館はせず、主催事業しかやらないという形でスタートした施設です。初代の演劇部門の芸術監督が鈴木忠志さんで、まちづくりに芸術を使いたいという当時の水戸市長と鈴木さんの野心がぴったりあって、始まったところです。音楽は今でもうまくいっているんじゃないかと思います。開館当初、初めて公共劇場専属の劇団が出来ました。非常にユニークな劇団でした。今は劇団は当時のようにプロの俳優が所属する形ではなくなり、鈴木さんも去られたのですが、演劇部門は26年経って地元にしっかりと根付いているようです。
震災があって、それがかえって水戸ならではの地域の劇場という形にを見えやすくした面もあるんじゃないかと思います。オーケストラの部門で言いますと、コンサートホールとオケが、フランチャイズ関係を結ぶべきだとその当時から言われてきたのですが、日本ではアイデアが喧伝されていただけ。東急文化村が民間として先鞭をつけ、民間の劇場に芸術監督を置くという事例はあったんですが、1990年当時、公立の文化施設でプロの室内オーケストラを結成した前例はなかったと思いますし、芸術監督は水戸芸術館が、公共劇場では初めてだと思います。
芸術振興の観点からは公立文化施設に問題があることは改めて言うまでもないのですが、公の施設というのは、それまでは地域住民の福祉のために建てられたものであって、芸術の振興のために建てられたものじゃないとされてきました。ここが一番大きいボタンの掛け違いなのです。借りる人を区別しないですから、地元の劇団に貸すこともあれば、演劇鑑賞団体に貸すこともあるし、あるいは成人式の会場になるとか、もう中身ごった煮というところがあります。地域によってはアマチュアの場合には安く貸しますよということもあったりしますけれども、原則、プロとアマ、営利非と営利、というのはあまり区別しないで運営してきたのが、日本の公立文化施設でした。
そういう公立文化施設に対して、建物だけ立派で中身がないじゃないかとか、そこで自主事業をやっても観客がいないじゃないかとか、そういう批判がいっぱい出てきていました。日本の公立文化施設はどうしようもないと言われていたときに、鈴木忠志さんたちが、海外では、劇場とオペラ団体とか劇団が一体となっている、オーケストラは絶対コンサートホールにくっついているものなんだ、というふうに建物と活動する人達が一体になっているということを伝え、専門家がいないと劇場じゃないとおっしゃられた。
劇場の構造でも、日本の場合は貸し小屋だったので、バックヤードがほとんどなかったのですが、劇場なら当然、稽古場があるべきとか、大道具、小道具を作ったり衣裳を作ったりするバックヤードがちゃんとあるのが劇場だと言われたわけです。上演のための場と、創造のための集団と、観客を育てる仕組み…この3つが、日本の場合は、ばらばらに担われてきたというのが歴史的経緯です。劇団は劇団で作品を作ることだけ。観客を育てることも、もちろん劇団単位では行ってきたのですが、恒常的に観客を集める仕組みというのはなかった。そこで演劇鑑賞会が出来た。劇場は貸し劇場として各地に出来ていた。
80年代には公立文化施設が爆発的に増えたという状況があります。先ほど1990年というのは、公共劇場元年だと申し上げましたが、もうひとつ世田谷に世田谷パブリックシアターというのが1997年に開場しますが、劇場建設の計画は80年代末から始まった三軒茶屋再開発プロジェクトという名前で行われ、その調査の一環で、当時、ライターをしていた私は90年にイギリスに視察に行ったということがありました。
それまで海外の演劇というと、ブロードウェイとかウェストエンドとか、そういう華やかな商業演劇の方の情報ばかりが入ってきたんですが、そうではなくて、ロンドン市内のコミュニティ・シアターと言われるところを集中的に取材して、そこで凄くカルチャーショックを受けました。商業的に賑わっている劇場ではなく、小規模なんだけれども地道にいい作品を作っている劇場や、客席はすかすかだったりするけど、そこで働いている人達の腕前は優れているというような劇場の状況を見て、日本とのこの違いは一体なんなんだ?というのを非常に感じた年が私にとっての90年でした。
それがきっかけで、もっと英国演劇の状況を知りたいと留学したのですが、劇場という施設と、創造を行う団体と、観客育成の機能が日本は三位一体じゃないということと、鑑賞行動に地域差が大きくあること、イギリスでもロンドンと地方とではやっぱり差があるんですけれども、それにしても日本の場合は、東京に集中しすぎじゃないか、そういう問題意識を持って私はイギリス留学から帰ってきました。その後、アメリカにも留学して、それから芸団協に入るんですけれども、芸団協としては、90年に助成金のシステムに関するシンポジウム「芸術援助政策を考える」が開催されたりしていました。
この90年という時期は、一方でバブル崩壊の前の年なんです。世の中が、やっぱり文化だ、と言い出し、企業も文化文化と言い出していた。そういう時代でした。芸術をサポートしようという動きが出きてきた時代だったということがあると思います。それで、芸団協では文化政策の研究が、1984年くらいから始まっていて、90年代の前半には「芸能基本法」を作ることに関心を持っていて、例えばオーケストラは公益法人になっていたりしますが、コンサートが課税対象事業になっているんです。 公益法人の本来の目的であるコンサートをやっているのに、なぜ課税されるのか?実際には赤字だから法人税課税はされないんですが、おかしいと思うことがありました。それと公立文化施設の問題点がいっぱい指摘されていました。
私が芸団協に入ったのは1996年なんですが、98年あたりからは、「芸能基本法」を研究しようということになって、その中で幾つかの項目として「劇場法」というのを研究していました。そこで問題になったのは、公の施設というのを、どう超えるかということでした。ようするに、芸術団体だけに集中的に使わせると公平じゃないということに対しての問題です。利用者に対して不当な差別をしてはいけないという地方自治法の制約をどうかわせるのかというのがあり、もうひとつは専門家がいないと劇場じゃないということを、どう考えるべきなのか?この辺りの議論をしていました。
基本法の提起のプロセスは飛ばしますが、2001年には「文化芸術振興基本法」が出来ました。次は個別法だということで、劇場プロジェクトというのを芸団協内に置いて、そこで「劇場法」の議論を重ねていました。また2003年から、舞台技術者のことについて研究を始めていきます。プロとは何か?と言ったときに、技術者についてはプロフェッショナリズムとは何かを、もうちょっと明確に定義できるんじゃないか、というのがあり、2002年くらいに研究をして、その後、芸団協ではなくて舞台芸術共通基盤研修実行委員会というのを組み、創造性と安全性を両立させるにはどういう人材育成が必要かということを議論したり、研修事業の模索も行いました。
折しも2006年に、相次いで劇場や公演会場で事故が起きて、死亡事故が起きたことを受けて、2007年から劇場等演出空間運用基準協議会を発足させ、ガイドラインを作るようなことをしました。研究とか調査とかというと、何か客観的にやっていると思われるかもしれません。勿論、客観性もあるんですが、プロセスとしては関わっている人達、利害関係者の意識あわせと言うか、どういう利害があるかということをお互いに知ったうえで、どこまでだったら恊働できるかとか、そういったことを探っていくプロセス…一緒に活動していくなかで、だんだん理解が進んでいく、というようなプロセスだったと思います。
その後、2009年の2月に、「劇場法の提言」というのを出しました。ところがこの頃、政権が民主党政権になり、事業仕分けが蓮訪さんによって行われ、文化庁の文化予算が軒並みばっさばっさと削減されてしまったということがありました。また、2010年に「実演芸術の将来ビジョン」という研究をやっていて「もっと文化をキャンペーン」では、63万人以上の署名を集めました。ところが63万筆の署名は、あえなく保留にされてしまったんです。なぜかと聞いたら、請願事項の中に、「文化予算を一般会計の0.01%から0.5%へ」という数値が入っていたのが政府としては約束出来ないと言われ、翌年、その数値を取って署名を集め直したものは通った。ところが通ったのですが、その後、今に至るまでほとんど何も変わっていないというのが実情です。
「劇場法」というのは何かといいますと、「劇場、音楽堂等の活性化を図ることにより、我が国の実演芸術の水準の向上等を通じて実演芸術の振興を図るため、劇場、音楽堂等の事業、関係者並びに国及び地方公共団体の役割、基本的施策等を定め、もって心豊かな国民生活及び活力ある地域社会の実現並びに国際社会の調和ある発展に寄与すること」を目的としていて、劇場としての機能が十分に発揮されていない、相対的に地方では多彩な実演芸術に触れる機会が少ない、この2つがあるから出来た法律という位置づけになっています。私の問題意識としては、「劇場法」が施行されて、もう5年経っているんですけれども、事業がどの程度なされているかというデータがちゃんと比較できるようになっていない点が挙げられると思います。
施行して1年目だったでしょうか…公文協の調査では事業数は増えているんです。それは規模とか、どういう内容のものが出てきているのかなど細かい分析はしきれていないのですが、1年だけの数値なのか、翌年もなのか、翌々年もなのかを調べようと思って公文協に問い合わせたら、そのデータは作っていないですって言われてしまいました。文化庁から頼まれませんでした?って尋ねたら文化庁はどうも他に予算を回してしまったらしく、統計がちゃんと取れていないんです。そんな状況なので、全体状況としてはまだ分かっていません。
最近の私の危機感は、日本はこれから少子高齢化が極端に進む、人口縮減社会になっていく、そういう中で芸術に文化予算が今までどおり回ってくると思っていたら、マズイのではないかということです。今、社会には深刻な問題がたくさんあるので、限られた予算を投入する最優先の分野が芸術や文化ではないと思われているということです。でも我々としては、文化をちゃんと守っていきたいというという思いがあって、それをどう考えればいいのかな、というところが悩みどころです。
奥野:ありがとうございました。1990年から考えると「劇場法」制定までに二十数年という道のりがあって、ようやく制定された法律だということですよね。すごく聞きたいと思ったことが、ひとつあります。米屋さんご自身は、どういうモチベーション、危機感、実感のもとで「劇場法」の制定に向けてご尽力されていたのですか?
米屋:面白い芝居が見たい、それだけです。もうちょっと言うと、面白い芝居を創ろうと凄いエネルギーをかけている人達が、すごく不遇な目にあっている、というのをいっぱい目撃してきたので、これをなんとかしたいという思いです。
奥野:つまり、「劇場法」が施行された後には、不遇な環境にあった人達の環境が改善される、もしくは、法律の施行によって面白い芝居を見る機会が増えるだろうと思っていたということですか?
米屋:そうですね。私が引退するまでには環境が整っていればと思っていました。ただ、「基本法」も「劇場法」もどちらもそうなんですけれど、別に不遇な芸術家救済法じゃなくて、国民の享受の状況を豊かにするというのが目的なんです。芸団協の中でも、愚痴の言い合いみたいなことは何十年も繰り返されていて、70年代くらいから、80年代はもう、その愚痴の出し合いだったというふうに聞いているんですが、ぐちぐち言ってるのはやめて提案しようよ、っていうふうになっていったということと、提案しようってときに、74年から実演家の実態調査をやっているんですけれども、そういった調査研究、状況のつぶさな報告であるとか、そういったものをもとに、提案していこうとだんだん変わっていったというのがあり、2001年以降も、芸術家の地位向上というのは大事ですし掲げていますけれども、芸術家の地位向上が当然だと言うのではなくて、ちゃんと活動している人達がちゃんと遇されるということがあって、より創造に対する競い合いや、切磋琢磨が進むであろう。
いまですと、お金を調達 した人だけが得する、お金をゲットした人が表現の場を得られるけれども、才能があってもお金を得られない人は活動できない、という状況をなんとかしないとフェアじゃないと思うので、その仕組みを変えたいと思ってきました。
質問者1:お金をゲットした人が優遇されているという意味がちょっと分からなくて。もう少し詳しく教えてもらえますか?
米屋:例えばの話です。本多劇場が下北沢にありますね。あそこで、2〜3週間の公演をするとなると、結構な金額を用意しないと出来ないですよね。それを、マスメディアでいっぱい稼いでいて、年に1回とか3年に1回とか、そこにぼーんと投入して、公演やるというような団体も中にはある。多くの観客を集められる作品だから公演期間が長いのではなく、よそで資金を集められたから公演する。
よそで稼いだお金を投入してっていうパターンは小劇場には多いじゃないですか。それはそれで、ご本人からしてみれば、自分の発表の場を、適正な料金を支払って確保しているのだから、全然非難されるものではないんですけれども、でも、日本の仕組みは貸し劇場が基本なので、民間にしても、公立にしても、借りる期間は、予算規模で予め決まってしまいます。1週間しか借りられないとか、3週間借りられるというのは、事前にいくらお金を用意したかによって決まってしまう部分が大きいわけです。評判が良かったから公演回数が増えるとか、そういう状況にないっていうのは、おかしいと思っています。
質問者2:環境を助成によってよくするということですか?
米屋:助成ではなくて、評判のいい公演があったら、うちに来て公演して下さいって言ってくれる劇場が増えればいいわけですよね。
質問者3:文化庁が文化省になることによって、どういうことが変わると思われているのですか?
米屋:「基本法」が出来て、文化庁の予算も増えました。ところが、2006年くらいをピークに、芸術団体への直接助成はぐっと下がっています。理由のひとつは、当時、不正が一部で発生したということ、一方でそれ以外にも理由があって、チェックが厳しくなっていて、財務省が芸術団体にお金を出してもダメだろうと。それで、自治体とか大学に行く施策が増えています。それも含めて、芸術関係につけるお金って伸びていないんです。
それで、私の本音で言うと、もちろん予算は伸ばしてほしいんですが、伸びないんだったらもうちょっと使い易くしてよって思うんです。けれども、我々が使い易いように、募集要項を変えてくれないか?という交渉をしても、全然埒があかない。どうしてかというと、文化庁の職員の多くは文部科学省からの出向の方々なので、文化庁の担当者が状況を分かってくれたと思ったら、人事異動になって文部省に戻ってしまうという繰り返しで、文化庁の担当者の中に芸術の状況や文化政策に関する蓄積が行われていかない。
報告書が積まれていっても全く工夫には至らないという状況です。文化統計も何もないところに、文化政策なんか作れるわけがないので、出向のローテーションで戻っていってしまうのではなく、省の中に専門的な職員がいるという状況にしてほしい。これがすごく切実な思いなんです。もっと言うと、今、文化に関係する政策は、国際交流基金が外務省系統になったり、コンテンツ産業は経産省になったり、内閣府知財本部とか食文化で農林水産省、教育に関して文科省とか、いろんなところに散らばっているんです。
それぞれで勝手にやっているので、そこを統合する・・・横串を刺すような文化大臣が必要なんじゃないか?ということがあり、大臣だけ作っても、それは上手くいかないので、だったらやはり省にして、強くしてもらわないと、これ以上、文化政策をこのままで放っておかれちゃ困ると。そこで、省になってくれた方がいいなっていうことですね。
奥野:米屋さん、大変ありがとうございました。それでは、第二部に移行したいと思います。第二部では、施行後の現状と今後の活用についてお話し頂こうと思います。ゲストスピーカーをお二人、紹介させて下さい。ロームシアター京都の宮崎刀史紀さんと、三重県文化会館の松浦茂之さんです。劇場法が実際に施行されて、もう4年が経ちますが、果たして劇場は変わったのか?どうなんだろう?というところを、実際に劇場で文化事業を担当されているお二人をお迎えして、お話を伺いたいと思います。
第二部「施行後の現状と、今後の活用について」
ゲスト:宮崎刀史紀(ロームシアター京都)、松浦 茂之(三重県文化会館)
松浦:「劇場法」が出来て、私が現場で実感、体感している部分で、いいことをまず先に言います。悪いことだけ言うと愚痴になってしまうので(笑)、まず、いいことを端的に3つ、最初に述べさせて頂くと、業界で劇場設置の根拠法がないという異常な状態だったのが、やる根拠が明確化されたということがあると思います。いつも比較していた図書館法などと並べてみるのですが、劇場の事業のカテゴリーが、はっきり8つの事業カテゴリーとして見えたこと。
これは非常に私は意義が大きいと思っています。例えば三重県文化会館で言うと、多彩なプログラムをやっていますが、第三条五の国際交流というのを実演芸術ではまだ取り組めていないとか、6の調査機関として、経済効果であったり、芸術そのものの中身の調査研究やレポートなどをアウトリーチも含めて、劇場そのものがやるということ、これもなかなか出来ている劇場が日本だと少ないです。
あと、8、これは社会包摂とか多文化共生という言い方でも、昨今は言われていますが、ややもすると劇場はお客さん作りとか、作品づくりを先行しますので、こういったちょっと後回しになるような活動が8番目に挙げられたということで、劇場としてやらないといけないなと思うようになりました。現に私どもの会館では、私が挙げた、5番、6番、8番のミッションが弱いということが分かっていますので、それをやっていくということは、この法律が出来てすごくいい刺激になっている1点目のいいところです。
2点目は、「劇場法」制定の際に、こうしたシンポジウムや研修が活発に行われました。この法律ができるとどうなるんだろう?ということで。ON-PAMというのは、もともと、こまばアゴラ劇場でセゾンさんの助成で、「劇場法」にまつわる勉強会を始めたのを機に、形成されつつあったネットワークがひとつの母体となって、舞台芸術の制作者のネットワークを立ち上げようということで出来たと聞いておりますし、私ども公共劇場の世界でも、こういった法の制定が進むにつれて、活発化した議論の中から「劇音協」という、これは「公文協」という全国に二千数百館ある、公共劇場のネットワークの中で、有志で集まろうじゃないかという声がけで集まった劇場の集まりが、「劇音協」という集まりでした。
議論の中で、やはり文化庁の助成の仕組みががらりと変わり、活性化事業というのが出来、劇場法の第三条のことを、まんべんなく網羅出来ているかどうかというのを一番大きな助成要件としていますので、やっていないと、申請できない助成になっています。今、全国で百数館くらいはこの採択を受けていますが、それによって、おそらく文化庁の活性化事業の助成を受けたところがかなり増えたと思います。三重県も、年間で20プログラムくらい、貰う前と貰った後で増えています。平均2千万〜3千万円の単位でプラスでお金が入ってきますので、そういったことで活性化される劇場が、ますます活性化されることは、この文化庁助成が生きているところです。ここが2点目のいいところです。
3点目は、新設の劇場と、リニューアルの劇場、または在り方検討会で中身をがらりと変える議論をしている劇場にとっては、「劇場法」があることで、必ずこの法律を検討せざるを得ない状況になっています。やはり法律がないといくらでも自由に適当なホールを作れるのですが、今は、法律があるということで、なんらかの在り方を検討したり、新設したり、事業をしたりするときには、必ず法律が絡んで来るということがあります。実は、私の地元の津市が、平成31年オープンの劇場新設プランを抱えていまして、もう基本設計まで終わっていますが、たまたま検討委員会の委員に選ばれて行ったんです。その第1回目の検討委員会で出たのが、「劇場法」というのが今、ありますということで、これをまずは勉強しよう、これに則った劇場を作るということでないと成立しません、と言われるわけです。市長もそれに納得されて。これが3点目のいいところです。
ではいよいよ、よくないところを指摘します。全国のホールの数、実態を赤裸々に言うと、2千数百館あるうち、「公文協」に加盟しているのが1264館です。その中で、自主事業を実施していますという回答をしているのが788館、これは結構多いのですが、実は、人気アニメ作品の子供むけショーとか、そういう上演を年一本だけやっても、自主事業をやっているということになるんです。本数上、鵜呑みに出来ないということで言うと、先ほど言った、多種多様なプログラムを年間を通じてやっているということで選ばれている採択数というのは、平成25年で104館です。
申請書が落ちている館、諸事情で出していない館もあると思うので、おそらくやはり200館ぐらいが、先ほど第3条で明記された、色々なカテゴリーの事業を多種多様に展開していると言えると思います。何が言いたいかというと、他の1800館はどうなっているかということで言うと、変わっていないというのが実感です。それはなぜかというと、法律を無視しているというよりは、構造的な業界の問題があり、そこに政策提言するべきだと私は思いますが、ひとつは公共劇場という組織の問題です。どうしようもなく硬直的な組織の管理者が多い。もう1つの構造的問題は予算、お金の問題です。お金と人です。あとは、もう一点だけ。先ほど米屋さんのお話にもあった、有資格者の問題です。図書館や博物館は、司書、学芸員が有資格者として、法律の中で施設への配置が謳われています。
ですが、「劇場法」では、議論されたものの最終的には明確に有資格者としては謳われなかった。芸術監督、プロデューサー、技術監督、場合によってはワークショップファシリテーターとかデザイナーとか、今後、何十年か、色々な資格を持つ専門家が劇場に配置されなければならないと法律で謳われ、劇場の担い手となる人材を育成、雇用することを業界としては目指していくべきかなと。すごく簡単にまとめましたけれど。
宮崎:だいたいもう松浦さんが全て言ってしまったので、もう話すことがないというか(笑)。先にお願いしたのはそういうわけなのですが(笑)。まずひとつ、奥野さんから法律が出来て変わりましたか?という質問がありました。これがなかなか答えが難しいのですが、答えが難しいということは、変わっていないということかなぁと。実感としては、法律ができて、現場が明らかに変わったということは無いと思います。それは実際の法律を読んで頂ければ、分かるかと思うんですけれども、この法律自体が、現場に直接的に制限を加えたり、必ず何か後押しをするような構造になっていない。
非常に間接的に、いろんな人がその人達の立場で受け止めて、それで措置するということが伴わないと意味が出てこない法律だということがあります。それは先ほどの松浦さんの話にもあるように組織が変わるとか、予算が変わるとか、そういうものが変わらないと、状況は変えられないということがあるのかなと。松浦さんが言われたように、劇場そのものがまだ変わっていないし、変われていないのかもしれないのですが、先ほども話に出た「劇場・音楽堂等連絡協議会」。これが発足して、関係者間の情報交流が出来たりとか、フォーラムみたいなものをやるようになったとかはあると思います。
「劇場法」を受け止めるための組織として「劇場・音楽堂等連絡協議会」を作り、盛り上げていくということをしながら、結果として、情報共有とかそういうことが出来るようになってきた。実際、「劇音協」が何をしているかと言うと、文化庁の審議会とかに必ずメンバーの誰かが傍聴に行ったりして、その情報をすぐみんなで共有するとか、文化庁の審議委員の人に、文化庁の審議会の前に接触をして、勉強会みたいな体裁をとって、劇場にこういう課題があるというのを、意見交換したりもしています。
それを文化庁の会議の場で、反映してもらう。要はアドボカシーというか、ロビーイング。そういう領域に入っていけるような場が出来てきた。そういうのは、「劇場法」が出来て、変わったことです。法律が出来れば何か変わるっていうのは甘い考えで、役所の人も法律は出来たけれど、あとはやっぱり皆さん次第ですよっていう話だと思うんです。法律が出来た後に、その法律が欲しいと言っていた人達が、またさらにそれを活かすために、何が出来るかということが伴わないと、結局法律は作っただけで終わってしまうというのが一般的な、この類いの法律なのだと思います。
レポート執筆・編集:川口聡