平成26年度第1回地域協働委員会@横浜『横浜についての地域スタディー』
日時:2014年4月5日(土)11時〜17時
会場:急な坂スタジオ・和室にて(神奈川県横浜市西区)
全体進行:大平勝弘(STスポット、地域協働委員会副委員長)
出席者:21名
・フェスティバル・ボム 新ディレクター・李丞孝さんを迎えて
「ソウル、釜山、横浜の3都市を結ぶ新しいフェスティバルの紹介と展望」
・ヨコハマ創造都市センター・杉崎栄介さんを迎えて
「横浜における芸術文化の中間支援について」
・急な坂スタジオ・加藤弓奈さん、演劇センターF・市原幹也さん・野村政之さん
「横浜でのさまざまな動き」
小倉:去年は東北や関西で行ってきたので、今回は東京近郊で開催出来ればと思っていた。横浜という地域は東京とはまた別に(自治体主導やNPO主導など)さまざまな動きが起こっていたり、集まってきていると感じていた。また、フェスティバルボムという韓国のソウルを中心に開催されていた舞台芸術のフェスティバルがこの横浜で開催されるということもあり、横浜開催とした。
大平:これまで仙台や鳥取などで話を伺ってきて、それぞれに舞台芸術がその地域と関わっていくための物語が比較的分かりやすいと感じた。こういう問題があって、そこに舞台芸術がそれに対してどう関わっていくかという。それで、いざ自分が拠点としている横浜という地域と較べてみるといろいろと違いがあるなあと思った。まずは規模の大きさの違い。いろんな人がいろんな目的でいろんなことをやっている。
そんな中で今回誰にお話を伺おうかと考えた時に、たくさんの候補が挙がったんですが、中間支援団体団体として活動しているヨコハマ創造都市センターの杉崎さんや急な坂スタジオの加藤さんなどをお呼びした。ただし、いずれも自分からは身内というか割りと自分に近いところで活動されている方が多いので、外側から見た忌憚のないご指摘をみなさんからいただけると嬉しい。
参加者の自己紹介(参加動機、ゲストにどういうことを聞きたいか、横浜の印象等)
フェスティバルボム新ディレクター・李丞孝(イ・スンヒョウ)さんを迎えて「ソウル、釜山、横浜の3都市を結ぶ新しいフェスティバルの紹介と展望」
李さんによるフェスティバル概要紹介
李さんは2009年に初来日。東京藝術大学で現F/Tディレクターの市村作知雄さんに師事し、F/Tや十六夜吉田町スタジオ等に携わる。十六夜吉田町スタジオでフェスティバルボムの作品を招聘したりしたのがきっかけとなって、フェスティバルボムにも関わることになった。今年のフェスティバルボムの一番の特徴は3都市(ソウル・横浜・釜山)でやるということ。昨日は岡田利規さん、市村作知雄さん、ジョン・ジンファさん、李さんの4人で「野球、軍隊、兄弟」と題してトークイベントを行った。岡田さん曰く、韓国と日本はアメリカという共通の親を持った兄弟だと。その象徴が野球と軍隊だと。そんなことをテーマにトークをした。このように今回の横浜での催しは、作品を発表することではなく、日本と韓国でコミュニケーションをとることをメインの目的としている。なぜボムを横浜でやるのか?
日本で暮らし始めたころは、日本人と韓国人は近いものが多いと感じていたが、2年、3年と過ごしていると安心してしまい、さまざまな誤解が生じていることに気づいた。心理的な距離を失くすためには、国の区別を考えずに一つの地域として考えてはどうか。国の区別を考えないとしても都市は残るから、都市と都市を繋げるフェスティバルをつくろうと。東京よりも横浜の方が小さい空間で小さい組織で自由に活動している人たちが多いのかなあと。STスポットや急な坂スタジオ、横浜ボートシアターだったり。
東京芸術劇場という大きな劇場が中心となっているF/Tとは全く違うフェスティバルにしようと思った。十六夜吉田町スタジオを拠点に日韓を結び付けよう。フェスティバルボムに日本側スタッフとして呼びかけた。日韓フェスティバルとしているが、両国の作品を紹介するだけでなく、国際フェスとしてノルウェーやニュージーランド等の海外のアーティストも紹介。その他にアートツアーで横浜に行こうという企画を実施し、15名ほどの観客が韓国から来日している。作品だけでなく観客の移動を試みた。花見の季節なので桜を見ることと合わせて。心理的な距離を失くそう。ヨーロッパでは各国の距離が近いだけではなく、国レベルから個人レベルまで様々なレイヤーで交流がある。日韓でも見た目だけでは誰が外国人なのかすぐには分からない。こういうことを何回も繰り返していくことで本当の国際交流ができるのではないかと思っている。
ノルウェーは今、お金が余っているらしいですね。「北海」という第二次世界大戦以降に発見された油田で、サウジアラビア、クエートに継ぐ産油量を誇っているそうです。その影響で毎年大きなアートセンターができたり、フェスティバルをやったりしている。ハード・ソフト両面への支援が非常に増えている。そうなった場合、ノルウェーの人は本当に幸せなんだろうかと。「オイルフォーアート」と名付けられた作品は(アートへの公的支援を皮肉。レクチャーパフォーマンス)、いろんなことを示唆していると考え、ボムin横浜のクロージング作品とした。
ボムのプログラムは基本的にジャンルがはっきり分かれないものになっている。これは韓国の助成制度によるところが大きい。多元(ダウォン)芸術に対する助成金の枠組み。演劇、ダンス、美術、音楽などに当てはまらないものすべてを受け入れる。ボムは多元芸術の枠組みから助成金をもらっているので、観客参加型やレクチャー作品が多い。展示作品もデザインとアートの境界線上のようなもの。
フェスティバルのメインデザインも両国のデザイナーのコラボレーションで製作した。一般的なコラボレーションは両者が話し合って一つのゴールに向かう。しかし、日韓において、それはまだ難しいのでないかという視点で考えた。なので、コミュニケーションができないことを逆手に取ったデザインゲームみたいなことをやってみようと。→互いのデザイナーが互いの国をリサーチしてつくったものをキャッチボールしてみた。→あまり面白くなかった。→時間をかければかけるほどデザイナーは自分のデザイン(スタイル)になってしまう。→リアルタイムでやりとりしよう(skype)→5分×12ラウンド(各々のデザイン行程を映像で共有)→メインポスターに
作品を紹介するというより面白い人、会場を紹介する
釜山について
韓国はなんでもソウルに集中している。地域をなんとかしよう。町おこしとかではなく、アーティストが作品を作る環境をつくる。海外に売れないと作品が終わってしまう。新作をつくっても次にどこでやるかが決まっていない。消費されて終わり。だから、あえて日独韓の国際共同制作作品をソウルではなく釜山でやってみようと。本当は5都市ぐらいでやりたい。アーティストが安心して制作できる環境に。
難しかったこと
日韓の時間の感覚が違う。日本はすでに2016年の事業を考えている。会計年度の違い(日本4月~3月 韓国1月~12月)助成金支給のタイミングが異なるため、1~6月までは共同制作が困難。
質疑応答
Q:新しく「フェスティバル」の価値観を創り出そうとしているのがよく分かった。最終的には日本での開催もソウルと同規模にしたいのか?あくまでもサテライトということなのか?
A:今回は試しでサテライトとして行った。ただ、ソウル以外の地域では長くて1週間が限界だと思う。
Q:主催作品、共同作品、自主製作などのレイヤーはどうなってる?ファンドレイジングについてはどういうふうに組み立ててる?
A:助成金申請の時期が11月で日本ではタイミングが急なので申請していない。今回のコンセプトがフェスティバルボムが韓国で製作して横浜に持ってくるということではなくて、横浜で活動している個人や団体を紹介することが主としていたので、彼らが自分たちでやりたいことをそのままやればいいかなと思っていた。例えば神村恵さん(STスポット)はもともと決まっていた作品。その他の作品もそれぞれの予算でやっています。いくつかボム主催の公演もあるけれど、すべて入場料収入で賄っています。海外から招聘したアーティストは、航空券代とか作品料はフェスティバルボムで出しているけど、現地滞在費用は共催の急な坂スタジオに出してもらっている。海外で上演する作品を助成するのは韓国でも難しいので、国際交流費として定められた枠(アーツカウンシルなど)からほんの少しだけ。ソウルでの作品は基本的にすべてボム主催。
Q:韓国から日本へのツアーを組んだということだが、具体的に観光も絡めたりしたのか?
A:フライトと宿泊だけを用意して、最後は一緒に帰国するというかなり緩いしばりのもの。プログラムの時間は我々で案内するが、それ以外は自由。
Q:今後の課題は?
A:横浜に事務局がないこと。予算面も含めそれをどうしていくか。
Q:ツアーの宣伝はどんな媒体で?
A:Facebookが中心だが、韓国ではある程度大手のメディアや旅行会社が持っているチャンネルをつかえた。ただし、韓国から日本というのはハードルが高いと感じた。逆の方が可能性あるのではないかと感じた。ツアー代金は55000円(三泊四日)。今の時期は旅費が高い。
ヨコハマ創造都市センター:杉崎さん「横浜における芸術への中間支援について」
ヨコハマ創造都市センターとは
公益法人横浜市芸術文化振興財団により運営されている。文化芸術を活かした魅力あるまちづくり「文化芸術創造都市・横浜」のセンター機能・窓口となる存在。施設は、歴史的建造物(元銀行)として特徴的な空間であり、公演、展覧会、シンポジウムなど、様々な活動に使われている。毎年2月にはTPAMやONPAMでも利用いただいている。中核事業はアーツコミッション・ヨコハマ。横浜市文化観光局が掲げる「選ばれる都市=横浜」を目指して、アーティストが滞在、創作、発信していく場所として、横浜が選ばれるよう、彼らの創造活動の環境づくりに力を入れている。
中間支援→アーティストや制作者が創作活動するのに必要な人・物・金・情報をコーディネートする。後方的な支援。
相談・コーディネート事業
アーティストの相談がメイン。拠点形成(スタジオづくりなど)の相談も内容として多い。最近では企業、行政からアーティストを紹介して欲しいという相談が増えている。
例) 舞台芸術分野で言えば、横浜市内の会場や劇場外の空間の紹介、コーディネート。
空き不動産活用によるアーティストの拠点づくり、など
助成事業
創造都市横浜の推進に寄与するものに交付。作品発表のみではなく、作品制作の過程でも申し込みできる。2014年度からは、横浜拠点のアーティストが市外へ活動することの支援も付加。今年度から昨年度までの3本の助成を一本化。
国際交流事業
成都市のアートスペースと連携し、横浜市のアーティストを相互派遣するアーティスト・イン・レジデンス交流事業を行っている。TPAMなど。
創造界隈 アート拠点の運営
2001年から2013年に対して拠点数は右肩上がりで増えている。横浜市が持つ公設公営、横浜市とアートNPOが共同して行う公設民営、アーツコミッション・ヨコハマの助成制度で生み出す民設民営の3つが組み合わさり、横浜の都心臨海部に一定量のアーティストの拠点を集積することができた。
YCCとして、評価の定まっていない活動、自治運営的な活動、都市に流動性を生み出す活動を応援するようにしている。これらが、街の内発性を高めると考えている。
横浜は港町なので、来るもの拒まず、去るもの追わず。街に囲い込むというより、横浜でキャリアを積みたいアーティスト、そこから世界へ発信できるアーティスト、入る人と出る人がもたらす街への影響を重要視している。現在は、まだ種を撒いて芽が吹いてきた状況で、今後成長を見守っていかないといけない。
意見交換
Q:どうして横浜にアーティストが集まってくる環境を作るのか。都市の成熟にとって芸術が必要なのだろうか。東京との差別化を図るためか。
A:都市の成熟には文化芸術の力が必要。現場の人間としても、文化芸術が都市の発展に好い影響を与えると信じている。「横浜ならでは」を獲得していかなければ都市として発展していかないではあろう。創造力というものが都市の発展に貢献するということは明らかであるので、都市に新たなアイディアをもたらす、独自性ある人材が集まることで都市の発展に結びついていくであろう。
Q:マッチング事業に依頼されたコンテンツにこたえられない場合もあると思うのですが、新しい環境や地域団体との交流とはどうやって広げていくのだろうか。
A:基本姿勢はアーティスト側の希望や要望をじっくりとヒアリングすることが重要。希望を真摯に聞いていき、こちらの持つ情報とマッチングしていく。オールジャンルに精通しているわけではないが、横浜のことは精通しているので、作品構想を聞くことでより希望に近いものを紹介する。
Q:データベース化の用意があり、その中からの紹介だろうか。実績のない場所へ紹介をする方法や今まで繋がりのなかった場所への紹介する方法はどのようにしているのか。
A:会場や物件等の情報のデータベース化はできていないので、これからの課題である。今は経験則で実施している。アーティスト個人では話を聞いてもらない場合でも、芸術文化振興財団の名前であれば話を聞いてもらえる。そうした使い方をしてもらっている。ただし、あくまでできるのは制作をすることではなく、情報の紹介のみなのでアーティストの実力を見定めて制作能力が足りないと思えば、手伝うことはできないし、制作のイロハをアドバイスしたり、制作できる人と組むように伝えている。最終的には紹介した人や場所とアーティストが直接話し合って実現できるかが決まる。
Q:芸術文化振興財団というとある施設の管理や運営をされるイメージがあったので、お話を聞いて、公共事業というよりは民間企業の分野のような感覚があるのだが、横浜市文化芸術振興財団の予算はどのようになっているのか。また、資料を見るとジャンル別事業において演劇の支援数がかなり少ないのだがその理由を聞きたい。
A:全国と比しても、財団の自主財源は高い方の部類だとは思うが、他の自治体と比較したことがないのでわからない。また、財団は施設単位で事業を行うのが大部分なので、演劇専門の施設を当財団では手持ちで持っていないので実績が少なくなる。
Q:財団と市の中で演劇分野について棲み分けなどが存在しているのか。
A:もともと財団ではテアトルフォンテの運営や、アートライブなど演劇に関係する事業を行ってきていた。またその実績に伴って今も横のつながりがあり、現在の事業にも活かされている。また、ACYで演劇には助成していても、前述のとおり財団の施設、自主事業はないので実績で表すと少なく見えてしまう。
Q:杉崎さんはどのような経緯で財団に入り、また財団の中でどのようなキャリアを進んできたのか。
A:一番初めは文化施設について、その後、財団の事務局でフェスティバルなどの事業をいくつか担当し、その後市役所に研修として派遣され、アーツコミッション事業の立ち上げを行い、アーツコミッションの拠点移転に伴い現在センター職員として働いている。
Q:横浜は現在、芸術活動が興隆しているが、そのことがセンターに何か変化をもたらしているか。
A:特に自分が感じるのでは不動産の活用事例の中から、オーナーやその建物の周辺の住民がアーティストとの交流を楽しみにしている事例が少しずつではあるが増えてきた。オーナーさんがアーティスト・イン・レデジンスの経営を楽しむ、一方でアーティストが町内との交流を積極的に行うことで、アートが社会へ進出していく、しみ出していく様子が見える。こうしたことが、自然発生的に起きている様子を見ると事業の成功を実感する。
Q:地方から見ると東京と横浜は地理的に近く同じ地域区分に見えるが、行き来が可能な分東京からの人を横浜に連れてくるようなことは考えているのだろうか。横浜からみて東京はどのように意識しているのか。
A:東京に比べると横浜ではまだチケットが売れない、といわれる。観客創造をもっとしていかないといけないのではないかと思っている。その点において東京は既にチケットを買う層が確立されていてマーケットの大きさでは到底敵わない。確かにそれはアーティストが劇場を選ぶ上で重要な点だと思う。ただし、マーケットの話だけだとそれは安い話で、チケットを売らないようなジャンル、もしくはお客さんを限定できない作品に対して横浜は機能していると思うし、大きな強みを持っている。もちろん、チケット売れることもとても大事なので、横浜として課題を克服すること、観客創造をすることは必須。それは客席を多く持つ劇場やホールが中心と皆で連携してやるべきであろう。
加藤さん(急な坂スタジオ)、大平さん(STスポット) 「横浜でのさまざまな動き」
急な坂スタジオはもともと横浜市が運営していた結婚式場だったが、創造界隈形成事業の際に文化芸術のための創造拠点として2006年10月オープン。横浜は、アーティストがたくさんいる街というイメージを言われたのですが、自分が実感できたのは、ほんの数年。この業界についたばかりの頃は、劇場もなくお客さんも集まらず劇団も多くなかったころから、少しずつ横浜市の支援事業によって環境が耕されて来つつある状態。
STスポットは1987年開館し、歴史は長くある。横浜市の財団の立ち上げと同時期に設立された。当初横浜からあまり注目されていなかったのだが、それ故にモチベーションに繋がりまた自由な取り組みに繋がっていた。当初は劇場よりもギャラリーのイメージで設立されたのだが、設立メンバーからの意見から劇場として立ち上がった。当初は演劇での集客が薄く映画の上映会を開催されていた。2003年に法人化し、そのタイミングでトリエンナーレの開催などで芸術に対する意識が高まってきた。
アウトリーチ的なアート教育事業部も持っており、学校へアーティストの派遣を行っている側面もある。現場の教師から希望を聞いてマッチングしたアーティストを紹介している。急な坂スタジオは作品を作る場所で、発表することは前提していない。作品の発表は外に持って行く。市内に存在している施設、普段劇場として運営されていない建物でダンスや演劇の発表する場所へとしていく取り組み行っている。また、横浜で培われた環境やノウハウを他都市に応用し定着させていく取り組みを始めていく。
Q:STスポットにおける、契約アーティスト制度が急な坂スタジオのレジデントアーティストというものに繋がっているのではないか。
A:横浜には歴史の長いアマチュア劇団が多く、他にも学生団体の学外公演などに利用されることが多かった。それはプロとしての活動よりも余暇としての演劇公演だった。それでは、アーティストが育っていかない。定期的に稽古をし、長期的な視野を持ってプロデュースをすることを考えると同時に、劇場としてSTスポットが活用される仕組みを作っていかなければならないと考え、契約アーティストという制度を設定した。
Q:STスポットと急な坂スタジオ、どちらもいわゆる「公設民営施設」ですが、両者の違いを教えてほしい。
A:まず、横浜市の管轄が違う。STスポットは市民活動支援、急な坂スタジオでは文化事業推進、という感じ…。急な坂は指定管理ではなく運営委託という形をとっている。管理運営委託費のみで事業費は出ていない。
横浜市は毎年アートフェスティバルを開催したい、美術→ダンス→音楽という大きなフェスティバルを定期開催している。
Q:アート教育事業部の立ち上げはどのようなものだったのか。
A:神奈川県教育委員会からの要請で共同事業として3~4校から始めた。学校プログラムの改変に伴い、総合的な学習の時間の開始によって学校からの需要が増え依頼が多くなり現在のような形まで発展した。アーティストに創作以外の活動にも挑戦してほしいという希望がありSTスポットとしてもアートセンターとしての構想もあったことから事業に積極的に着手してきた。
Q:市内の他の施設を作品発表の場にすることは、何か将来的なビジョンがあるのか。
A:劇場だけが発表の場ではないと考え、公共空間であればどこであっても可能で、そこにアートを挿入していくことで誰にでも開かれたものを考えたい。
Q:アーティストからの反応はどうか。
A:新しい環境に作品を置くことで改めて自分の創作に対して向き合う機会になることが多いと言われる。
市原さん・野村さん(演劇センターF)「横浜でのさまざまな動きについて」
市原:福岡県北九州市から商店街の中にある劇場「アイアンシアター」を立ち上げ芸術監督として運営していたが、昨年退任した。その後、全国で講演などをする機会があり、その際に黄金町エリアマネジメントセンターのヤマノさんからお仕事依頼を受け横浜に縁が生まれた。北九州では、市民と演劇との幸せな形をつくろうと活動してきたので、横浜トリエンナーレのサポーター活動の講師を1年間やってくれないかという要請。1年間横浜と北九州を行き来する中でだんだん横浜の状況や人的ネットワークに入っていくようになった。
また、長者町アートプラネタリウムという事業にアーティストとして招集され、作品をつくるという機会も得た。そこでは、地元で活動している美術家・竹本真紀さんの視点を借りながら、長者町、或いは黄金町界隈の中でよそ者が入っていけるコミュニティがどれぐらいあるかというのをリサーチして、「僕ここに入っていいですか?」というのをやり続けるプロジェクトでした。例えば黄金町で行われる「初黄・日ノ出町環境浄化推進協議会」の会議が誰でも傍聴できることを知ったので、それを「演劇公演」として告知した。
すると、それまで近寄らなかったような地元の人たちが参加して、自分の言いたいことを言ったりするようになった。それは、どこに自分の意志を通したらどう決定されていくのか?ということがわかっていなかった人たちに対して、演劇の「参加」という柱を用いてアプローチしていくようなもの。その後、黄金町を中心とした演劇祭の構想を依頼され、その拠点として「演劇センターF」の立ち上げへと至る。
「演劇センターF」は、プロジェクト名であり場所の名前、コミュニティーの集合の名前でもある。簡単に言うと、演劇祭のようなパフォーミングアーツが賑わうような機会を作って欲しいという発注のもと、そのためには拠点が必要だろうと。そして、その拠点の中にはゆたかなコミュニティーが必要だろうと。コミュニティーを作っていくプロセス自体も作品として公開し、アーカイブし、発表していくプロジェクトです。僕が芸術監督を務め、町の人には「センター長」と言っていますが。その他にはじめの実行委員として、多田淳之介さん、野村政之さん、藤原ちからさん、横井貴子さんが参加してる。
Fは演劇を発表する場所ではない。どちらかというと、向いているのは「みんなで集まって食べ物を作って食べる場所」という感じです。このプロジェクトをどうやって終わらせるか、或いは終わらせないか。このプロジェクトが単発の打ち上げ花火で終わってしまっては意味が無いので、コミュニティ自体をどのように作っていくか、自分のコミュニティと外のコミュニティとどうやって関わっていくのかを注意深く考えなければいけないなあと思った。その時に何があれば人の集まってくる場となるのかと考え、一つの切り口として飲み食いができることかなあと思った。稽古もできなければ発表もできないけれどここを基地として、どこかに出ていくような「可動式センター」となった。
メンバーに藤原さんを加えたのは、編集者・批評家を迎え入れることによって振り返りつつ反省しつつフィードバックを常に行っていこうと考えたから。プロジェクトをアーカイブしていくことで、さまざまな言説を取り入れて層の厚みを増していこうと思っている。
質疑応答
Q:“F”の意味は?
A:福岡からSkype会議中に送った資料「演劇センター案」が文字化けして「演劇センターF」となったから。
Q:「初黄・日ノ出町環境浄化推進協議会」の会議の演劇化とはどういう意味か。
A:演劇人から見ると非常に堅苦しい場で、その堅苦しさが面白いと思った。そういうところにもっといろんな人が参加できればいいなと思った。町の決まり事にみんなが参加できればいいと。催しを公演としてFacebookで告知して、当日の会議前に観客と議事録(前回公演のあらすじ)を共有し、会議後はフィードバックを返してもらうことを心がけ、何度か開催した。
全体のフィードバック
Q:必ずしも横浜で生まれ育ったわけでもない人が、横浜地域に密接したプロジェクトに参加しているのだなあと感じた。みなさんはこの町でどういった初動で始めようと思ったのでしょうか?
野村:黄金町で横浜トリエンナーレサポーターのためのエディケーション・プログラムが行なわれていて、その一環で2013年1月から3月にかけてLOGBOOKのワークショップを開催した。参加者から翌年度も続けたいという声があり、市原君がちょくちょく黄金町にくるようになって、地域の他のプロジェクトにも参加して…というようにだんだん広がっていった。
Q:鳥取や仙台でも外部から来た人が中間拠点づくりをつくろうとしている動きはあったのでしょうか?
小倉:鳥取の宿泊施設「たみ」はもともと大阪出身のアーティストが瀬戸内芸術祭を機にスタートしたという例があった。鳥の劇場の中島さんは故郷に帰った形になったけれど、制作の斎藤さんは鳥取に何の縁もなかったが、拠点を移すことに強く関心を持っていた。
野村:地域をつなげる役回りをするアートマネージャーが各地に現れていて、黄金町でもその存在が大きいと思う。
小倉:南三陸で切り絵アートのプロジェクトをやっていた吉川さんも本来は仙台を拠点としていたが、震災前から南三陸で町の記憶を切り子として表現するプロジェクトを展開している。
大平:逆に生まれた町の文化を大切にしたいから、それをアートを使ってやりたいという人もいましたよね?
小倉:倉吉で小学校の円形校舎を後世に残したいという思いからアートレジデンスプロジェクトを展開されていました。
Q:外部からクリエイターやアーティストを取り込んでいくこと自体がコミュニティに及ぼす影響というのはあると思いますか?
杉崎:あると思いますね。コミュニティは寄せ集めではダメで常に取り寄せの状態でなければいけないと言っている人がいて、まさにそのとおりだと思っている。新しい人材をコミュニティに取り込んでいって再生させる。関係性を読み解いていくような仕事をしている。アーティストなりディレクターがはみ出したことをしたときに行政側がフォローするような。演劇は関係性の芸術であるのでアーティスト側がそれを面白がっている側面はある。
野村:横浜が抱えている課題とは何でしょうか?次の一手はどういう方向か?
加藤:STも急な坂もあと2組は抱えられない。今いるアーティストとは一緒に考えることができたが、これから先さらに若手を発掘していくのは難しい。今いるアーティストが急な坂を離れてもやっていけるもっと大きな土壌が必要だと感じる。
大平:名目上、次世代を育成する立場であると、こちらが安定的に運営される仕組みでなければならない。現在の指定管理や業務委託の仕組みでは10年、20年というスパンでは考えられないというのが課題。
杉崎:自分たちがやってきたことを整理して伝えることをしていかないと自治体は動かせない。今日の会で横浜の仕組みをはじめて知った人も多かったと思うので、プロモーション不足というか、もっと広めていかないといけない。他の地域で横浜の仕組みが参考にされていくような形にならなければいけない。横浜でやってきたことはオーソドックスなことであるので、これはどの地域でもやればうまくいくと思っている。
参考リンク
フェスティバルBo:m
横浜創造都市センター
急な坂スタジオ
STスポット
演劇センターF
今後のスケジュールについて
・委員会イベント
横浜は横浜でつながっているなあと感じた。関西に持ち帰ったときに自分は繋ぎきれてないなと思ったし、共有する時間が持てたらいいなと思った。制作者の育成についても興味があるし、進めていかなければならないなと。
・次回開催予定について
5/31〜6/1国際交流委員会と合同で城崎国際アートセンター
8月上旬 YCAM
その他、新潟と愛知が現在候補で挙がっている。