【レポート】第2回テーマ委員会「公立劇場の制作者」の現在地~行政と表現のはざまにて~@京都

■「公立劇場の制作者」の現在地~行政と表現のはざまにて~

日時:2015年6月20日(土)16:00–18:30
会場:punto(京都市南区東九条南山王町6-3)
トーク・セッション登壇者:
唐津絵理(愛知県芸術劇場シニアプロデューサー、あいちトリエンナーレ2016キュレーター)
澤藤歩(KAAT神奈川芸術劇場)
橋本裕介(ロームシアター京都、KYOTO EXPERIMENTプログラムディレクター)
原智治(京都市 文化市民局 文化芸術都市推進室 文化芸術企画課 振興係長)
司会:武田知也(ロームシアター京都)
参加者:27名

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各登壇者の公立劇場(または行政)での立場とその背景
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武田:
<今回の委員会の企画趣旨の説明(→こちら)>

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唐津:
愛知県芸術劇場のシニアプロデューサーであいちトリエンナーレのキュレーターもしております。私はもう24年目ですが、実は公立劇場という呼び方にはあまりなじみがありません。貸し館も含め、まだ劇場が誰もが等しくこの場を共有できる文化施設として出発したころに公立文化施設の職員として勤め始めましたので、創造劇場で働いている皆さんとは少し認識が違って、劇場は作品を創る場であるという意識が薄いかもしれません。90年代前半はそういう状況だったんです。

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個人的には小さい頃からダンスをやって大学も舞踊学科でしたが、大学時代の80年代後半は、勅使川原三郎さんが出てきたり、ピナ・バウシュやウィリアム・フォーサイス等の素晴らしいアーティストの初来日が重なり、海外のカンパニーが紹介され始めたときだったので、そういうたくさんの才能を見て自分に才能がないということに唖然としました。自分が創る人間ではないなら他に何ができるか、どうやってダンスに関わればよいのか、と模索していた時期に、ニューヨークでダンサーとしてパフォーマンスをする機会がありました。200席の小さな劇場でしたが日本からきた無名のダンスカンパニーの1週間の公演は毎回満席で小さい子からお年寄りまで見に来る光景を見て、こういう状況をつくる仕事がしたいと思うようになりました。ちょうど愛知県で舞踊専門のアートマネジメントを探しているという話があって、それまで愛知に行ったこともなかったし明確に何をしたらいいかわからない状態から始まりましたが、それ以来ずっと愛知にいます。

私どもの劇場は、直営の県の施設ですから、行政の中で異動しないための方便として、美術館に倣って劇場に学芸員制度が取り入れられました。そのとき私自身は学芸員の資格を持っていませんでしたが、一年間で取得して、今のポジションにつくことができました。以来、劇場の中で、美術館における学芸員のような役割を果たすにはどうすればいいか、ということをずっと模索してきました。実は去年から指定管理になり財団職員になりましたので、県からの派遣で3年という期限が決まっているという不安定な状況です。それでもここに留まり続けるのは行政の立場で劇場や舞台の専門家が居続けることの重要性を考えているからです。

澤藤:
大学卒業後はゼネコンでOLをしていました。公共ホールの職員になりたいと思った、そもそものきっかけは大学で台東区谷中のフィールドワークをしていたときに、そこでアートを使った地域文化活性化の面白さに触れたこと。そして、大学時代に所属していた歌舞伎研究会では歌舞伎座の裏方の方々にサポートしていただき、実演を毎年行っていたのですが、上演が近づくにつれ、集団の結束力がどんどん増していくんです。その過程が面白いなと。それで、この二つをいっぺんにできないかな、つまり、演劇を通じて地域文化活性化できないかなと思ったんです。それで、ゼネコンに勤めながらいくつかの劇団の手伝いをして、その後青年団に入り、国内公演の制作をしている中で埼玉県富士見市にある「キラリ☆ふじみ」という劇場の立ち上げに関わり、その後に北九州芸術劇場に転職し、作品制作やアウトリーチ事業に携わり、2009年に神奈川芸術劇場の準備室に入って、今に至ります。私は財団職員という立場ですが、公立劇場でしかできないことがたくさんあるのではないかと思い、そのことについてお話しできればと思っています。

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橋本:
今は2016年1月にオープンするロームシアター京都(元々は1960年建設の京都会館)の開設準備室で、京都市音楽芸術文化振興財団という財団の職員として仕事をしています。大学在学中から劇団に入り、その後自分のプロデュース会社を立ち上げ、色々なアーティストのマネジメントをしてきました。また京都芸術センターの演劇事業を提案してきたこともあり、その延長上でKYOTO EXPERIMENTという国際舞台芸術祭を立ち上げ今もプログラムディレクターとして続けています。京都芸術センターは京都市が設置した文化施設ですし、KYOTO EXPERIMENTもその実行委員会を形成する構成団体のひとつに京都市が入っていることもあって、随分前から京都市がどういう文化政策で舞台芸術を振興しようとしているのかを見聞きしてきました。

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京都市は現在その文化振興にあたってのプラン「京都文化芸術都市創生計画(2012年改訂版)」に基づいて、いろいろな取組が行われています。2012年にそのプランが策定されていくプロセスは「京都文化芸術都市創生審議会」という京都市が組織する会議で公開されたので、時々傍聴していました。そこでは、基本的に恒常的な施設が基点となっていろいろな事業に取り組んでいくということが語られていました。実行委員会形式というある種不安定な組織で実施されるKYOTO EXPERIMENTという事業を継続させるため、やはり京都市の文化政策上基点となる場所について一緒に考えて取り組んでいかなければ具体的な提案をするのは難しいと感じ、「場所で仕事をする」ということを考え始めました。ちょうどそのころ京都会館の再整備計画も立ち上がっていて、色々なめぐりあわせで2014年1月から今の仕事をしています。

僕の認識では、舞台芸術は創作が発表と分かち難い芸術分野だけに、行政で取り組むときにどうも「イベント」としての側面だけで取り扱われるのですが、そこに違和感を覚えています。発表するためには創作の部分が欠かせず、例えば美術館でいえば作品の収集にあたることでもあるといえる。それは本来、劇場の恒常的な仕事であって、イベントとして回収することではないはずなのに、イベントを先に設定しなければ作品作りのお金も回ってこないという状況が日本の文化全般に言えるのではないかと思います。どうすればそれを切り分けて位置付けられるか、それについても劇場という場で果たせることがあるのではないかと思っています。

原:
京都市役所の文化芸術企画課というところで振興係長という役職をさせていただいています。一人だけ少し立場が異なり、ON-PAMでも賛助会員で議決権を持っていない会員なので、制作という現場の外側からその状況を見ています。その前は東京のメーカーで設計開発をしていました。元々写真作品を自分で制作していたので美術関係の友人・知人も多く、アーティストやギャラリストなどから行政の頭の固さとか、プログラムやチラシのセンスの悪さについてよく話に聞いていました。

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一方でたまたま文化庁の方と知り合って話をすると、とにかくハードワークだとのことでした。実際に深夜に前を通ってもいつも灯りがついていて、文化庁は不夜城でした。予算も権限も施設も日本一の莫大なリソースを持っていて、その中の人はものすごいハードワークをしているはずなのに、現場とは大きく乖離して、壮大なギャップがあると感じていました。そのギャップを埋めるような、翻訳をするようなことを誰かがしないといけない、自分がその立場になりたいと思ったのがこの仕事をするきっかけです。

最初の2年間は保健医療行政でしたが、その後文化のセクションに配属されて7年間、現在に至ります。元々は美術、造形分野に興味関心がありましたが、京都芸術センターを担当して舞台芸術と初めて関わりました。また先ほど橋本さんのお話にあった創生計画を新しく作り直そうと素案を作り始めていましたし、また、KYOTO EXPERIMENTの立ち上げも同じ時期でした。その3つの要素があり舞台芸術にも深く関わるようになりました。この仕事をする前から感じていたのは、少数派の方にも居場所があって、その役割を発揮できることが「公」なんじゃないかなということです。行政の分野の中で文化芸術のセクションというのは本当に小さい。それが行政の中でどういう役割を持って認められていくのかということを考えること自体が「公」、公立劇場ということを考えていく中で重要だと日々思っています。

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公立劇場の中の専門家
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武田:
公立劇場の制作者は、単に作品を制作することだけが仕事ではないし、組織内でも様々な役割が分化されていると思いますが、皆さんそれぞれの仕事をどういう風に捉えられていますか? 例えば民間のプロダクションとの共通点や相違点などあれば教えてください。

唐津:
私が「学芸員」であるということの重要な部分は専門家として扱ってもらえることに尽きます。日々の多様な仕事の中で、結局何の仕事をする人なのかわからないという状況に置かれることが往々にしてあります。最初に申し上げたように、劇場の中で作品を創造するという仕事はほんの一部です。それを行う劇場自体も少ない。貸し館業務や総務や広報や色々な仕事があるなかで、専門家がいるならその人を活かす役割を与えなければならないと行政側は考えるわけです。舞踊/演劇の専門であるということがその劇場で仕事をする上で最優先してもらえるには、資格がわかりやすい。
あと、専門分野での判断が必要なときは必ず聞いてもらえるということがあります。例えば初めて文化の仕事を担当する上司が来たとき、私は立場的には部下ですが、専門家として必ず意見を聞いてもらえるので物事が知らない間に決まるようなことはありません。そういう行政内での専門性はとても重要だと思います。制作のなかも色々な仕事があって、よく学芸員が雑芸員と呼ばれてすべての能力が求められることがあるように今の制作者も同じ状況だと思います。確かになんでもやれる人材は便利だし組織にとっては有効ですが、今ある人材の中で、個々の人材の得意な部分を活かし、あるいは補い合うのかということを考えて、ポジショニングをするのがいい組織作りだと思います。

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私は元々アーティストを目指していたので、才能のあるアーティストへの敬意は人一倍強いです。それゆえアーティスト側に寄りすぎると言われることがありますが、それが現在の組織の中での強みでもあると思っています。劇場側とアーティスト側の折り合い地点を見つけるのはプロデューサーの役割で、自分はアーティスト寄りとは思ってませんが行政から見るとその基準は随分違うんですよね。通常の施設は現状復帰が基本ですから、創造活動のために少しぐらい汚れたり、穴が開いてもいいよ、という発想にはならない。だから少しでも目新しいことをしようとすると、敬遠されてしまいます。例えば、上から鉄玉を落とすという演出があったのですが、落としても穴が開かないことを物理の計算を持ってきて証明しないといけなかったんですね。今は、創造劇場を目指すことが一般的になってきた。

20年を経て少しずつ変化してきましたし、毎度毎度その闘いは大変でしたが、その闘いがあったからこそ、今があると言えると思います。なぜこのアーティストのために税金を使わないといけないのかという議論もよくありますが、そのアーティストが産み出したクリエイティヴィティに賭けることが自分の仕事の中で特に重要なことです。その架け橋である自分の存在が公立文化施設にあるという重要性を強く感じています。劇団の制作者との違いは、常に客観性を強く持ち続けることだと思っています。例えば、自分はそれほど好みではなかったとしても、もしかしたら「ある人」の人生を変える作品やアーティストかもしれない、という客観的な視点にも立って観る。なるべく個人の趣味に偏らないようにと意識します。もちろん、客観的にみて評価できない作品、敬意を持てない方とは仕事をしませんが、それが自分の好きなものとイコールではありません。そこは、このアーティストに賭けるんだ、と考えているだろう劇団の制作と違うと考えているところです。

武田:
学芸員制度を採用して窮屈さやネガティブなところはありますか。

唐津:
最初は予算をまったく教えてもらえませんでした。部分的に中身だけわかっていればいいと捉えられることが多かったということですね。また、美術館であれば、学芸課長が館長になったりポジションが上がっていくことがありますが、劇場の場合そういうシステムはなく基本的にラインの中では出世はのぞめません。上司は全部行政職で、そうすると学芸員にはその分野だけ知らせておけばよいということになって全体像を把握することが非常に難しい。

橋本:
私は劇場がまだオープンしていないので劇場の制作者としてアイデンティファイできませんが、現場では専門性というものが矮小化されているという気がします。予算を知らされなかったという唐津さんの発言を聞いてやっぱりかと思いました。例えばプログラムをラインナップするときにそれが美学的判断だけでは駄目だと思います。フェスティバルならまだしも、恒常的にその地域に根ざす劇場の場合は、その事業のプランニングにあたって一時の流行とかそういうレベルではなく、その地域の文化政策の一端を担うものとして計画がなされなければいけない。それには当然予算も知らないといけないし、色々な決定のプロセスにも深く関わらなければいけないはずです。

どうも専門性というものについて領域を広げることを行政は好ましくないと思っているのではないかという気がします。多くの文化施設で事業の計画がなされるときに、“決定プロセスの公明正大さ”の名のもとに、現場でその専門性を持ったスタッフの案を通すためのハードルがいっぱいある。何々委員会とか、理事会、評議委員会などがどこにでもあると思います。もっと極端な例を出せば、指定管理者によって運営されているとある劇場施設の自主事業は、その劇場施設を設置した自治体の委託事業だからということで、もう一度プロポーザルをするんですね。その指定管理者は舞台芸術に関する専門性や能力があるということで選んでいるはずなのに、そこで行われる事業に関してはオープンにしなければいけないということで別でプロポーザルをかけるんです。結局はその施設の指定管理者が申請し、2年連続で事業主体になっているというもったいない事態が起こっています。そういうことをすればするほど、専門性があるからといって任せた指定管理者の裁量をどんどん狭めていくことになるわけです。矮小化されたところでしか専門性を認識されない公立劇場の制作者では駄目で、もっと本質的な専門性を考えていかなければいけないのではないかと。

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澤藤:
私は自分がなぜ公立劇場で仕事をしたいと思ったのか、その原点について改めて考えていました。青年団を招聘してくださる方は公立劇場の中でも奇特な方が多かったんですが、そこで出会った劇場職員は自分たちの街の文化をどうしようか真摯に考えている方が多かった。そういった方々と仕事をするなかで、自分もそこで仕事をしたいという思いを強くしました。公共ホールの制作者で忘れてはいけないのは公金を使っていることだと思います。だからといって特徴のない色々なことをやるということではなくて、まずはその公立劇場に与えられたミッションがどういうものかを噛み砕いて、そのミッションをどうこなし、その地域に活かしていくかが公立劇場の人間の使命かと思います。その土地土地で異なる特徴にあったものをどう提供していくか、それと同時にアーティストを守るための論理や論法をどう組み立て、色々な方々に理解していただき、説明していくか。それが公共・公立劇場の制作者の役割だと思っています。

武田:
行政側からみて「専門家」はどういう風に捉えられることが多いでしょうか。

原:
行政の中でスペシャリストというのは残念ながら価値が高くはありません。ジェネラリストとして総務、お金のことや人のことなど何でもできることが基本的には偉いとされるわけです。ただ、行政として客観性を保つことはとても大事でして、その客観性の保ち方というのには二通りあると思います。一つはどんどん人を入れ替えること。新しい人を入れることによって前の人がやっていたことが検証されていく。もう一つは広く深く知っている、専門性がある人を加えること。行政は基本的には前者を採用して、長い期間安定的に物事を動かしていくために人を入れ替えることをしているわけです。ただ文化芸術においては人が入れ替わってしまうことのデメリットももちろんあって、それは何かをしようというときにその価値や位置づけが時間的、社会的な広がりの中で相対的に判断できなくなるということです。そういうときに専門性は必ず求められる。だから唐津さんの例のように、その上司の方は必ず唐津さんに聞くわけですよね。そういう形での客観性の保ち方もあります。

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「行政がつくるチラシがダサい」のはなぜか
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武田:
SPACで行われた前回の企画委員会のレポートで担当者の奥野さんがダニエル・ジャンヌトー氏の発言を引用していて、「(アーティストという)個人の内面から現れる意志、表現というものが、一方で個人的なものにとどまるのではなく、公的なものとして収斂していく」という発言があったとのことです。表現は個人に立脚しているものですが、一方で客観性を保つには個人を表現したり表明することを認めにくく、その仕組みは表現のあり方とは真逆な構造にも思えます。そこに公立劇場で働くみなさんはどういう戦略をお考えでしょうか。

唐津:
私たちは、見えない沢山の人たちに向けて発信しなければならないんです。そこでは一人の表現者が創作するものがその人個人を超えられる瞬間があるし、それができるアーティストを選ぶことが一番重要なことだと思います。なるべく複数の視点を持ち込み、多様性を確保できるようなプログラムを心がけています。そのために、最初は現代舞踊の専門として呼ばれたわけですが、ジャンルにカテゴライズされた枠は外して色々なものを見ることを自分に課しています。ただし、それは見る人たちの多様な視点に迎合することではありません。最終的にはその劇場が何をしていくべきかという、その使命に照らし直して選びます。例えばうちは県立の劇場なので名古屋市や県内の他地域がやっていることと意識的に差別化しています。あるいは8割は貸し館なので民間が行っていることとすみ分けしたときに、何をすべきか、自然と見えてくるものがあります。さらに、それは時代とともに変わっていくものなので、毎年、毎回考え直し、常に今の仕事にフィードバックしていかなければいけません。

橋本:
行政が作るチラシはなぜダサいのかという話が出ましたが、あれって実際の現場で携わる我々と行政の担当している方との間で「市民」と言うときに指す対象が、ズレているからではないかと思います。極端に言えば、行政はクレームを言う人を指して「市民」と言っているような気がする。そうして例えば「文字が見にくい」という指摘を恐れるあまり、結局何を伝えたいのかがはっきりしないチラシができあがることがあります。(もちろん現実にはその視点も大事ですが)一方で目も当てられないようなダサいチラシができた場合、その事業に人が来ないというリスクがあるわけですが、そこが見落とされています。来なかった市民の存在への視点は、そこで抜け落ちているのではないかと思います。それは、「何を成し遂げたか」というプラスの成果で評価する仕組みがないからです。

こと舞台芸術では、劇場という物理的な制約により、人数が限定された受益者しか一次的には得られません。にもかかわらず、定量的な評価しかしない。二次的、三次的にどういう効果があったのかということについて、あまり誰も考えてこなかったし提案してこなかったことが問題にあると思っています。だから評価するときに文句が出ないことが求められるのはやむを得ないことかもしれません。電気水道などのセクションでは及第点が求められてそれに至らなかったものについて文句が出る。しかし、そもそも舞台を始めとする芸術は、言ってしまえばあってもなくてもいいという前提があります。そうした時にプラスの成果で評価しないといけない、プラスの定性的な評価というものが必要で、電気水道と同じ評価だと文句が出ないことがよいという流れになってしまいます。

原:
そうですね。しばしば行政が何かをするとき、曖昧模糊とした市民をイメージしてしまうわけです。その市民からクレームがつかないようにという考えになってしまう。ただ文化芸術にそれを当てはめてしまうと、つまらないものにしかならない、結局、誰も文句を言わないかも知れませんが、誰も喜ばないわけです。先ほど多様性の話で出ましたが、例えば子どもに対する演出とスーパーエッジイなものを求めている方に対する演出は自ずと違う、多様なわけです。それをひとつの作品やひとつの事業ですべての市民・県民に適用させようとするから無理があると思うんです。ポリシーミックス、政策の複合性というか、色々なものを用意することで、結果として市民全員に行き渡るということを考えるべきだと思います。曖昧模糊とした市民に投げかけようとして個別の事業を取り上げて市民に届かないから駄目だというのは、ロジックに無理があると思いますね。

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澤藤:
私は芸術って本当に必要なんだろうかと常に自問自答しているのですが、その意識を失くさないようにしています。先ほどアーティストを守るための論法を考えていくと言いましたが、色々な演目を提供して、いわゆるバランスをとることもひとつだし、もしくは芸術によってこんな効果が、役割ができるんですと提供していくのもやり方のひとつだと思っています。アーティストも公の理念を持つ方が昔よりは増えてきて、こういうご提案をすると、二つ返事でやりましょうといってくださる方が増えている。そういった芸術が必要だと思われるような取り組みは今後も続けていきたいと思っています。あと、首長や自治体側の職員によって文化施策の流れは変わっていくと思いますので、そこも考慮していきたいですね。

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【グループディスカッション】
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先のトークセッションを受けて登壇者ごとのグループに分かれて約45分ディスカッションを行った。その後グループの一人が報告をして全体に共有した。
キーワード
1. 公立劇場の制作者とアーティストの関係
2. 公立劇場の集団性
3. 公立劇場制度に関わる制作者の役割

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(1)橋本さんグループ
文化行政のなかでなぜ劇場が必要になったのか、長期的な取り組みとして劇場が必要になったという話をした。
キーワード3の「制作者の役割」について下記のような人材が必要ではないかという話をした
・現場を知りつつ経営的な視点から運営を見られる制作者(CEOのような)
・ある種の行政のロジックの翻訳者として機能する制作者(交渉能力、法律も読める人)

(2)唐津さんグループ
学芸員という特異な立場でやってこられた唐津さんの経験を伺った。
・長年同地域で地元の芸術団体や若手アーティストとの関係づくりに力を入れてきた結果、コミュニティのなかに若手のダンスカンパニーや 舞台鑑賞グループ等、複数の多様な目的をもった芸術団体ができるなど芸術環境が変化してきた。
・地方自治体に芸術の専門家をおくということにより、不明瞭であった公立文化施設における舞台制作者のひとつの事例となった。
・学芸員的役割を探究することから、「キュレーション」という視点からの制作者のアプローチが生まれた

(3)澤藤さんグループ
・一口に公立劇場といっても市と県単位で異なり、財団の成り立ちによって行政からの派遣職員が何人いるかなど様々で、一般化することが難しい
・公立劇場の制作者の立場は同時に地方自治体の公務員である場合もある
・地方自治体の中で文化政策にかかわる人のあるべき姿をこちら側でイメージできないものか→例えばまずは見守るということだとか、この価値や位置づけがわからないけどサポートしますよという姿勢など。

(4)原さんグループ
以下の3つの話題があがった
●行政と制作者の立場のバランスについて
・行政の人が変わっていくことは、マイナスもあるが2〜3年で部署が変わっていくことである程度理解が増えていくということもある。
・指定管理者という立場で預けられたけど行政がトップに立つことの矛盾→独立性が保つ形で運営できなければ指定管理の意味がない
●芸術活動の民主制について
・芸術と市民社会の成熟が連動している。芸術活動があまねくおこなえるということ(多様性)はその社会が民主的かどうかの尺度となる
・公でかかわることはコストがかかわる、それは民主主義のためのコスト
・行政の仕組みから発生している現場の息苦しさ、行政側もその壁にぶちあたる状況がある
・劇場のなかの人間が社会や政治ともっとかかわるべき
・日々の仕事がこの社会で実現することに関わっているという意識を持たないといけない
●評価について
・行政と運営側がいっしょになってやっていって適宜評価・フィードバックをもらいながら進めていくというのもあり
・数じゃない。分母をどう考えるか、その時間に来られる可能性のある人が分母。そういう意味で数字を考えないと意味がない。東京の500人の集客と地方の500人の集客の意味が違うことを示すため。
・座・高円寺のシステムの紹介:行政の担当課の職員がすべての主催事業を見なければいけないという責任を職務として担わされておりその人が評価する→数値以外の評価も担保している、というように仕組みから変えていくこともできる

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感想
唐津さんがご自身のキャリアの中で公立文化施設においてその専門性をいかに獲得してきたかというお話にあったとおり、国家資格として定められた博物館・美術館における学芸員と違って、資格や制度が整えられていない状況において、「舞台の専門家」というものの姿は世間的にも行政的にも従事者にも曖昧な輪郭をしている。その専門性をいま改めて考え、自らの専門性を問わなければならないと感じた。
ただ、その専門性とは何かを考えたとき、たとえば、時代や場所を考察したうえでの芸術的な価値判断または価値の創造、その普及、アーティストとの共同作業や交渉、上演を行うまでの業務、企画のプロデュース、場のマネジメント、経営者的な視点での運営等々…それだけでひとつの職能になるほど多岐にわたることが思い浮かぶ。その専門性を確立するためには、組織の中での分業が必要になっていくが、それはそれで弊害なども出てくるだろうと思う。専門性を考えると同時に、劇場もしくは組織全体の、どのような構成でどのように人がいれば上手く機能するのか、組織の構造やスタッフワークも同時に考えていく必要を感じた。

構成:多胡真佐子

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