2017年9月3日(日)
ON-PAMシンガポール会議が始まった。 2年前、韓国の光州で第1回ON-PAMを行い、以後2年ごとに、世界の第一線の作品が見られるアジアの現場を訪れて、国際会議を行うことになった。
今日は初日。
昼間はシンガポール国際芸術祭の演目を各自観劇。 フィリピンの映画監督Lav Diazの撮影現場を訪ねるHenrico’s Farm。 ベルギーの演劇作家・ヴィジュアルアーティストDries Verhoevenによるインタラクティブなビデオ・インスタレーションGuilty Landscapeでは、観客一人一人が10分間、テレビのニュースで見たような悲惨な場面にいる人と一対一で顔を合わせる。
18時から20時まで、センター42(Centre 42)でシンガポール国際芸術祭の芸術監督オン・ケンセンさんによる基調講演。 演劇祭期間中で超多忙にもかかわらず、 熱く語ってくれた。以下、オン・ケンセンさんのお話のメモ。
「シンガポール国際芸術祭の芸術監督として大事にしてきたのは、 表面的な企画ではなく、深くまで掘り下げて土壌を作っていくことで、持続可能なプラットフォームを作っていくこと。私の任期中は毎回、対話中心のプログラムO.P.E.N.(Open, Participate, Engage, Negotiate)と、 作品鑑賞中心のメインプログラムという2つのプログラムを行ってきたが、 最後となるこの4年目のプログラムでは、ついに2つを融合することができた。持続可能性を考えるうえでは、個人の役割が重要になる。組織はハードウェア、個人はソフトウェア。 面白い個人がいれば、組織を離れても、必ず何か面白い仕事をしてくれる。
これはシンガポール国際芸術祭の芸術監督になる前から 東南アジア各地で行っていた「フライング・サーカス・プロジェクト」とも連続性がある。 就任する前の最後の年2013年には、ミャンマーで開催し、 軍事政権下の互いに密告し合うような関係から、話し合い、問いを投げかけ合う関係にしていくことで、「心のパブリックスペース」を作っていくことを目標にした。O.P.E.N.では、経済的なアクセシビリティーにも配慮している。学生なら20ドルで60作品が見られる。 今回のメインの企画は「共和国としての芸術(Art as Res Publicae)」と名づけた。
はじめは「開かれた議会(Open Parliament)」 という名前にするつもりだったが、「議会」という言葉は使えないと言われ、 ラテン語で「みんなの関心事(public interest)」を意味するRes Publicae( ここから「共和国republic」という言葉が生まれた)を使った。一般人の「陪審員」40~50人が一番関心のあるトピックを選ぶ。 今回はのLGBTQ問題、高齢化問題の二つが選ばれた。レズビアンを扱った戯曲のリーディング から始まる4時間近いディスカッションを、500人の観客が見に来てくれた。私の任期の最終回である今回の目標は「フェスティバルを市民に返す」こと。2014年に、「フェスティバルを所有するのは市民」 と言うことを掲げて始めて、「持続可能な芸術のエコシステム」を作りつつ、4回で1つのループを閉じることができた。
シンガポール国際芸術祭が終わった後には、キュレーターを育成するための「キュレーターズ・アカデミー」を2018年1月に 開催の予定。今年9月ごろに募集をはじめる。1999年に米国でACC(アジアン・カルチュラル・カウンシル)、フォード財団、ロックフェラー財団などの方々に声をかけて、「アーツ・ネットワーク・アジア」を立ち上げたが、今でも、 これらの財団にいた個人が、 私の企画を継続的に支援してくれている。継続的な企画にしていきたい。東南アジアでは、イベントのオーガナイザーはいるが、「キュレーター」が足りない。いろいろ調整してプログラムを組むプログラマーでもなく、コンテンツの文脈を発展させる「キュレーター」が必要。
例えばカッセルでドクメンタを見に行ったあと、地元に戻ったら、「文脈が違う」から同じことはできない、といってしまいがち。「では何ができるのか」を考え、見たものをコピーするのではなく、地元の文脈を発展させることで、異なる会話を発展させること。持続させるためには、しっかりした土台を作ることが重要。そのためには、ソフト、つまり個人に焦点を当てていくこと。今後のシンガポール国際芸術祭にとっても、自由な表現ができる環境を保っていくには、たとえばこのセンター42のような、柔軟性のある民間の独立した組織との協力も重要になってくる。」
ON-PAM副理事長の丸岡ひろみさんから。
「アジア・センターのサイトに掲載されている内野儀さんによるオン・ケンセンさんのインタビューでは、文化と芸術の違いについて話していて、文化ではなく芸術の力を重要視しているのが印象的だった。フレデリック・ジェイムソンの「単独性の美学」を参照し、今の平準化されていく世界はむしろ他者だらけになっているのだから、芸術にできるのは単独性を顕在化させることだという。キュレーションというのは、特定の時間に特定の関係を作ること。だが、舞台芸術は「キュレーション」を嫌う傾向があった。 美術作品と違って、その場にいる人間が多いので、簡単に関係性を構築するのは難しい。シンガポールはそれを実現している数少ない舞台芸術祭で、オン・ケンセンはキュレーターとしての仕事にも注力している数少ないアーティストの一人。」
オン・ケンセンさんの応答。
「文化は人がいるところには常に存在しているが、芸術というのは脆い場所。芸術はというのは、何か詩的(ポエティック)なもの。大事なのは個人が何を行うか、ということ。そこにポイエーシス(創作)という行為が出てくる。一方、近年政治の世界では、政治家が自分で判断・決断することを避け、「国民に決定を任せる」傾向がある。これがポピュリズムを生む。 たとえばシンガポールでは、LGBTQ問題に対して、 政治家が容認の態度を示すとマジョリティーが反発する。 一方で、リベラルなマイノリティーの票も失いたくないから、政治家は自分の判断を述べることを避けている。
毎年、シンガポールの状況に即したテーマを選んで来たが、今年のシンガポール芸術祭のテーマは「魅了(Enchantment、魔法をかけること)」。シンガポールの特権的な状況によって、何かに「魅了される(enchanted)」ということがほとんどなくなっている。「個人」も「芸術」も「差異」も、多くの人は信じていない。芸術の力によって、お金に支配された世界とは違う、すてきな世界を想像してみること。私たちは「魅了」されつづけていなければならない。シニシズムに身を任せてはならない。
芸術祭の観客数は10万人から15万人に、今年はそれ以上になるだろう。だが、何万人ものお客様を動員にするサーカスのような作品はプログラムしない。ブロックバスター(多くの観客を集める大規模な企画)ではなく、親密なフェスティバルを目指している。資金提供者の一人に、 なぜ何万人も集まる企画ではだめなのか、なぜ数十人しか入れないような会場で作品をやるのか、と聞かれたときに、「あなたの子どもは10人学級の学校と40人学級の学校と、どちらに行かせたいですか?」と問い返した。大規模な作品では一人一人の顔が見えず、個々人の政治的行動にはつながらない。何十万人もの人が「芸術」を観にくるというのは嘘だ。
どこの国、都市でも、人口の10%以上が芸術を見に行くということはありえない。一方で、親密な作品でも、より多くの人に開いていく試みは進めた。たとえば、 料理をしながら話す作品では、お客さんは30人でも、「Facebookライブ・キャンプ」という形式にして、 Facebookを通じて多くの方に体験していただけるようにした。来年の シンガポール国際芸術祭では、O.P.E.N.は消えるだろう。だが種として残り、またいつか芽を出すかも知れない。」
この基調講演も、ON-PAMとアジアセンターによって招待された制作者や実作者が聞き手だったからこそ、同業者同士として本音の話が聞ける機会となったのではないか。