ON-PAM委員会2023@YPAMプログラム「自治の場として考える劇場/アートセンター」レポート

2025.6.3

日時:2023年12月12日(火)18:30-20:30
会場:男女共同参画センター横浜南 フォーラム南太田
オンライン会場:Swapcard

登壇者:
荒井洋文(犀の角/一般社団法人シアター&アーツうえだ 代表理事)
林立騎(那覇文化芸術劇場 なはーと 企画制作グループ長)
三富章恵(NPO法人 アーツセンターあきた 事務局長)
司会:増田愛子(朝日新聞東京本社文化部)


ON-PAM委員会2023@YPAMプログラム③シンポジウム「自治の場として考える劇場/アートセンター」

「自治の場として考える劇場/アートセンター」と題した本シンポジウムでは、芸術を通じてどのような社会や未来を描いていくのか、劇場やアートセンターを取り巻く多様な人々が当事者性をもつことにより、場所の意味を再定義する可能性について思考をめぐらせる時間となった。登壇者には、劇場/アートセンターを通じて様々な取組みを実践している荒井洋文氏、林立騎氏、三富章恵氏の三者を迎え、各氏が携わっている文化施設や活動において関係者や地域の人々とどのような関係性を持ち運営・実践されているのか、劇場/アートセンターに集う人々が主体的に関わりをもつ「自治」のあり方について、三者の実践や事例紹介と展開される論点について議論した。

プレゼンテーション
前半は三者による活動紹介と自治にまつわる考えや実情を紹介した。以下に各者の発表をまとめる。

三富章恵氏(NPO法人 アーツセンターあきた)
秋田市文化創造館は、NPO法人アーツセンターあきたが指定管理者として運営する公立文化施設。
・自由で柔軟な環境をつくること
・市民ひとりひとりの想像力を尊重し応援すること
・街の中から生み出された多様な価値を尊重すること
をミッションに、創作・創造に重点を置いたクリエイティブハブとなる施設を目指し運営している。一方で、市民にとって創造活動は敷居が高いと感じる傾向があることや、サービスを提供してもらえるという期待があることから、どのように「つくる」ことを身近に感じてもらえるか課題があった。

秋田市文化創造館を、単なる文化施設としてではなく、コモンあるいは公共財・共有財として捉え、来訪者、利用者、行政や近隣住民など多様なステークホルダーが参加し協調していく「自治の場」となることが理想である。「自治の場」という観点から挙げられるひとつの事例として、文化創造館の敷地でスケーター利用が増えたことをきっかけにうまれた「スケートボード利用を街でどのように許容していくか」という議論を街に開いたことがある。

興味をもった市民や行政職員、スケーター当事者達が集まる形で話し合いが行われ、市民からのリアクションを受け取ったり、スケーターによる自主企画(スケートボードの楽しさを一般に周知するイベントやスケーターネットワーク構築のためのイベント)が実施された。このように文化創造館が地域に対して投げかけた問いにより市民の中から主体的な思考や行動が生まれることが「自治の場」としてのアートセンターになりうる一歩ではないか。文化創造館では、今後も地域に問いを投げかけ、市民の主体的な思考や行動を促していくことで、「つくる」場を育んでいくよう活動を続けていく。

荒井洋文氏(犀の角/一般社団法人シアター&アーツうえだ)
長野県上田市の海野町商店街の一角で民間の文化施設「犀の角」を運営している。演劇祭やアーティスト・イン・レジデンスを通じて作品を創ってきた。また結婚式の披露宴会場として活用するなど、街の人の様々なニーズをキャッチしながら施設の活用について思考してきた。コロナ禍で地域の困窮者を支援をしている人達と話す機会が増え、相談件数が増えたこと、特に若者や女性への支援が足りないという話を聞いた。犀の角でもホームレス風の人が訪れるようになったり、夜の仕事をしている人が出勤前の時間をずっと犀の角で過ごすようになったりと、これまでと違う実情が見えてきた。

我々には何ができるかを考え始めた時、地域で支援活動をしているNPOから、電話やSNSを通じた支援ではなく実際に人が頼れる場としてシェアハウスを作りたいという相談を受けた。当時ゲストハウスに空き部屋が多かったので、犀の角での実施を提案し、困りごとを抱えた女性が500円で宿泊できる宿「やどかりハウス」が始まった。また、「のきしたおふるまい」という炊き出しや、「うえだイロイロ倶楽部」という子ども達のクラブ活動を劇場で行うなど、「のきした」と称した様々な活動を行った。

のきしたの活動の一つとして「のきしたジャーナル」を発行し、地域で活動する人たちが自由に議論する言論の場もつくっている。また、「家出チケット」という悩み事を抱えた若者向けにゲストハウスを割引で泊まれるチケットも提供。家出を推奨するのでは、という良くないイメージもあったが、若者が生きづらさを抱えた現状を自治体にも理解してもらう方法としてあえてこのような名前にした。

かつては、劇団が社会包摂的な場として、社会に馴染めない人たちが劇団に入り、居場所や役割を持つことができた。今の時代の劇場の役割として、演劇の上演だけではなく、街の人の居場所になったり、自分を捉え直したり、全く違う方向から人生を考え直したり出来る場になりうるのではないか。

林立騎氏(那覇文化芸術劇場なはーと)
那覇文化芸術劇場なはーとは那覇市直営の公立劇場。多様な芸術を鑑賞するだけでなく、人が集い学び合う場所になること、市民主体の文化芸術活動の拠点となることをミッションとして2021年にオープン。現代芸術のアーティストや伝統芸能含む様々なジャンルの担い手との関わりから、芸術が自治的な営みであるということを実感した。自治的ということは、誰かに強制されたわけではない活動を、何か特定の利益や自分だけのためではなく、この世界や自分の生きる土地をより良いものにしていくために日々続けること。

自治という言葉に込められた意味には、自分たちの文化を自分たちで守り、また新たに生み出し、その価値を自己決定していこうという姿勢がある。このような自主的な営みとともにある公立劇場は、どのような役割を果たすべきかを考えている。かつてアーティストと共に作品を創り、今は劇場で働いていて思うのが、公立劇場や芸術祭の役割と、アーティストや作品の役割は明確に異なるということ。

作品の社会性や政治性を自らの社会性や政治性であるかのようにふるまうことは、劇場や芸術祭がもつ権力やそれに伴う責任を曖昧にし、アーティストや作品の社会性を不当に奪うことにつながりかねない。芸術作品を自由に発展させるために、表現の自由を掲げ、政治からも行政からも距離をとりたいというのはアーティストが主張すべきことであり、公立劇場をはじめとする公的文化制度は政治や行政の只中で、表現の自由が守られ、文化芸術を基礎とした地域の自治が発展する環境を維持することが役割だと考える。

公立劇場としての役割を実践する自治的な取り組みとして、なはーとでは「なはーとダイアローグ」という対話プログラムや「なはーとカンファレンス」という制作環境におけるお金や契約、ハラスメントなど、アートワーカーの制作環境を考える場を設けた。社会問題を議論するために予算と設備が活用されることは、公立劇場の役割として重要である。

自治とは単にみんなで自己決定するのではなく、多様な立場の人が集まり、それぞれが力を与え合うこと、また誰かの力を損なうことなく、より大きな力を生み出して新しい自由を創造していくこと。その際に言葉の役割は大きい。文化に関する公的な制度は官僚制の文書主義のなかに位置付けられているため、行政の言葉で芸術や劇場について語られる。また、税金が投入されることを市民や観客に理解してもらう際に言葉は重要である。良い作品を市民に届けることはもちろん、劇場に来れない人も含めた多様な人を繋ぐ言葉や表現を支えることが、公立劇場で働く専門家の責任ではないか。

市直営の劇場で市の職員として働いているが、行政のなかに専門家が必要であると考えるにいたった。地域の実情をしっかり聞き取ることができる専門家が複数名いて、地域の人との対話とリサーチに基づいて、制度や仕組みを行政言語で提案できる人が必要である。文化芸術や劇場が専門的だから指定管理として切り離すのではなく、むしろその専門性を行政の内部に位置付け、他の分野と連動させることで、公的文化制度の公共的な役割、つまり地域の自治を支え促進する役割を発揮すべきである。

パネルディスカッション
後半のパネルディスカッションでは自治体直営、指定管理者運営の公立劇場/アートセンターと民間の劇場というそれぞれの立場の違いや役割、課題について話された。

司会の増田愛子氏からは、公立劇場の中には作品を創って社会と繋がるという志をもって運営しているところもあるが、そういった劇場の意義について問いかけられた。その問いに対して、林氏は作品を創ることによる社会との繋がりは大きな意義があると言及しつつ、作品だけでは果たせない公共的な役割もあると指摘した。公立劇場が主催する公演のチケット価格の高さが、社会と繋がるうえでの障壁となる可能性を例に、作品と繋がることのできる人は誰なのか、誰かを置き去りにしていないかといったことを、日々考えながら公立劇場の役割について考えていると述べた。

荒井氏からは、犀の角の活動から劇場の本質に関わる思考ついて語られた。例えば、やどかりハウスに来ている人達と支援者のやりとりを見ていると、それは演劇としか見えない時があると言い、劇場というものは何かを創りだしたり、価値を転換していくマインドがあれば、いわゆる演劇ではなくとも、新たな価値をどんどん生み出していけるのではないかと考えを共有した。様々な人と関わることで社会と接しながら、そういった人々とどうやって世の中をつくっていくかということを常々考えられるのが劇場なのかもしれないと考えを述べた。

また、公立文化施設が持つ権力について、地域住民と公立施設がどのように対等な関係(例えば、どちらかがどちらかに寄り掛かるのではない関係)が構築されうるかという問には、三富氏がスケートボードの対話の例を挙げ、対話を重ねることで対等な関係のように見えるかもしれないが、権力の構造は施設と市民、両者の思考の根底に根強く残っていると感じていると返答した。林氏は行政職員として立場と権力をどのように使うか明確にしたうえで、色々な人と関係を作るようにしていると、日々の仕事について話された。

質疑応答
最後に、客席からの質疑応答を行った。「専門性」ということの定義や、いま演劇や劇作に感じている変化についてなどの問いが投げかけられた。

なかでも、自治と芸術の独立性はどのように折り合っていくのかという問いに三富氏からは、色々なレイヤーやサイズ感のコミュニティのなかでどのように自治というものを実装できるかトライアルを重ね、そのレイヤーが積み重なったり、様々なコミュニティの中に大小存在し自治が実践できれば、と考えを語った。林氏からは、小さな場のようなものがたくさん生まれた方が良いのではないか、様々な人が様々なサイズで集まり、色々な目的をもって話し合ったり作品をつくることが重要ではないかと自治について意見を交わした。

以上をもってシンポジウムは閉会した。

執筆:鳥井由美子